先週に引き続きオーストリアのレッドブルリンク、F1史上初の同一コースでの2連戦目。
今回のグランプリ名は開催地の州の名前「シュタイアーマルク」が取られている。
F1は1カ国1回開催”原則”のため、同年に同国で開催する場合は国名ではなく地域などの別名が付けられる。
過去にも、「スペイン(バルセロナ)GPと、ヨーロッパ(スペイン・バレンシア)GP」や「ドイツ(ホッケンハイム)GPと、ヨーロッパ(ドイツ・ニュルブルクリンク)GP」などがあった。
日本でも、F1熱狂期だった90年代前半に1年に2回開催されていた。
レーサーから学んだ”生と死”

日本では1994年に日本GP(鈴鹿)とパシフィックGP(岡山)との名で2回開催された。
この1994年4月開催のパシフィックGPは、アイルトン・セナの日本での最後の走りとなってしまった。
どんな素晴らしい人物でも死んでしまう・・・それも突然に。
それを実感したのはアイルトン・セナが事故死したレースをテレビで観戦していた時だった。
F1に詳しくない方でも、この名はきっとご存知だろう。
アイルトン・セナはF1で3度のチャンピオンを獲得したブラジルの国民的英雄。
日本でもセナ人気は高くて、昭和シェル石油のTVCMや、とんねるずの生ダラ、タモリの笑っていいとも!といった人気バラエティ番組にも出演していた。
だが、1994年5月1日サンマリノGPの決勝レース、時速312キロで走行中にコントロールを失いコンクリート壁に激突。
34歳という若さで亡くなった。
当時、小学校6年生、夢広がるF1の”世界”で起きた死亡事故はショッキングだったし、今でも思い返したりする。
セナの死はF1レースをただのエンターテインメントとして捉えていた私の価値観を変える出来事だった。
レーサー達は命を懸けて走り、一方でファンはのん気にレースを楽しむ。
この温度差は、まるでローマ時代の剣闘士たちの戦いを見ている観客達と変わらない。
そんな風に感じることもある。
あんなに無邪気に観ていたF1レースが、セナの死によって意味を変えた。
F1レースは人生を学ぶ場所でもあると考えられるようになった。
「どんなに素晴らしい人物でも死ぬ。それも突然に」
これはセナの死によって気づかされた、一番大きな学びのひとつである。
新たなアツい戦い
ちょっと脱線してしまった・・・第2戦の話に戻ろう。
予選決勝と圧倒的な速さを見せるメルセデスに対し、レッドブル・ホンダは正直厳しい戦いだった。
メルセデスのルイス・ハミルトンは雨の予選、2位に1秒差をつけ異次元の速さを見せつけた。
決勝でもバトルなしノンストレスなレース展開で、スタートとゴールしか放送に映らない、まるでミハエル・シューマッハ黄金期状態だった。
でも、何が起こるかわからないF1に期待して、両チームの戦いを見ていきたい。
見どころといえば、やはり中団チームの勢力争い。
今回はペレスが熱いオーバーテイクを見せてくれて、ドライバー・オブ・ザ・デイにも選出された。
表彰式のトロフィー授与が、密を避けるため配達ロボで配布されるのも面白かった。ちょっとトルク足りてなかったよね笑。
主な出来事
PP ルイス・ハミルトン(メルセデス)
1位 ルイス・ハミルトン(メルセデス)
2位 バルテリ・ボッタス(メルセデス)
3位 マックス・フェルスタッペン(レッドブル・ホンダ)
・雨の予選ルイス・ハミルトン(メルセデス)が2番手に1.2秒の大差でポール
・フェラーリが1週目に同士討ちでダブルリタイア
・ランド・ノリス(マクラーレン・ルノー)ラスト2周で3台を抜き5位フィニッシュ
・セルジオ・ペレス(レーシングポイント・メルセデス)17番手スタートから果敢に攻め6位フィニッシュしドライバーオブザデイに選出
・表彰式で配達ロボットがトロフィー授与