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アイルトン・セナの愛車 マクラーレン・ホンダ全5台(Mclaren Honda)

マシン写真
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こんばんはハッピーサトさんです。

2021年はいよいよホンダ第4期のラストイヤー。

アイルトン・セナマクラーレンホンダ(Mclaren Honda)での黄金期を知っているだけに、再びホンダエンジン(PU)を搭載したマシンの王座獲得を見たいところ。

昨年とマシンの基本設計は大きく変わらないものの、レッドブル・ホンダはセルジオ・ペレスが加入、アルファタウリ・ホンダには角田裕毅さんが加入。

このドライバー変更が2021年シーズンのF1勢力図にどのような影響をもたらすのかワクワクですね^^!

 

さて、今日はホンダ黄金期を創ったアイルトン・セナの愛車マクラーレン・ホンダの歴代マシン全5台を紹介していきます。

セナと言えば私は2つのイメージで、このブラジル国旗の4色(黄・緑・青・白)を纏ったヘルメットと真っ赤なレーシングスーツ、そして赤白のマールボロカラーのマクラーレン。

今でもF1ファンの記憶に強く残り続けるセナのマクラーレン5台の写真は勿論、デモランやエンジン始動の動画も紹介していきます。

写真や動画は鈴鹿サーキットで開催されたF1日本GPやホンダコレクションホールで撮影しています。

それでは、アイルトン・セナ加入初年度の1988年のターボV6から第2期ホンダラストランとなった1992年のV12マシンまで、各時代のマシンを見て行きましょう!

↓セナが前年まで所属したロータスのマシンはコチラ↓

アイルトン・セナについて(ウィキペディア)

マクラーレン(Mclaren)について(ウィキペディア)

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1988年 マクラーレンMP4/4・ホンダ(Mclaren MP4/4 Honda)

#12 アイルトン・セナ車 (#11はアラン・プロスト)

マクラーレンMP4/4・ホンダ(Mclaren MP4/4 Honda)はゴードン・マレーとスティーブ・ニコルズが設計開発した1988年のマシン。

前年にロータス(チームメイトは中嶋悟さん)で既にホンダエンジンでのドライブ経験のあるアイルトン・セナが加入。

当時、ホンダは走行データをリアルタイムで転送するテレメトリーシステム解析をいち早く導入していたが、セナ自身も膨大なデータ解析についてメカニックに事細かく質問を行い理解しようとアプローチを行ない続けた。

研究熱心だったホンダとセナ、また、ヨーロッパにおける人種差別を体感していた両者は自然と惹かれあっていった。

 

そしてチームメイトは、このマクラーレンで既に2度チャンピオンを獲得している「プロフェッサー」アラン・プロストと強力なドライバータッグとなった。

セナをマクラーレンへと導いたのはアラン・プロスト本人であり、かつてのラウダ&プロストのような最強ドライバーによる「ドリームチーム」を想い描いていた。

二人とも最強である事は間違いなかったが、レースで勝利するというセナに対し、シーズンで勝利するプロストという、勝利へのアプローチが異なる2人が創り向かっていった先は「ドリームチーム」とは全く違う世界へ・・・

 

MP4/4はシーズン16戦中15戦で勝利(ポールポジションも15回)し他チームを圧倒しコンストラクターズタイトルを獲得。

ドライバーズタイトル争いでは僅差でアラン・プロストに競り勝ったアイルトン・セナが初のチャンピオンを獲得した。

マクラーレンMP4/4 フロント

MP4/4は非常に車体が平べったく背の低いマシンとなり、今の時代では考えられないがコックピットに収まったドライバーの肩・腕が外から見えるほどモノコックが低く設計されていた。

このマシンを設計したゴードン・マレーが以前設計したブラバムBT55のマシンコンセプトと繋がっている。

そのコンセプトは「低重心化・低ドラッグ・リアウィングへの空気流確保」となっており、前年度まで採用されていたプッシュロッド式のフロントサスペンションもマシン下部にダンパーなどを収められるプルロッド型へと変更されている。

 

地を這うようなこの平べったいデザインは「フラットフィッシュ(ヒラメ)」と呼ばれていたらしい^^

開発段階で超低重心を実現するためのエンジンをホンダは開発、更にクラッチの小型化を成功させたことでドライバーのバックシート角度を5度倒し、ブラバムBT55と同じ全高まで下げることが出来た。

車体全体のデザインが極めての低いマシンのため、ドライバーはシートに座るというよりも寝るような姿勢となり、プロストはこのシートポジションが好みでなかったという。

フロントウィングのアッパーフラップや翼端板などの各種パーツ、マシン側面など全体的にまだ直線的なデザインになっていて、空力的な速さではなくエンジンパワーだけで勝ち抜ける時代でもあった。

それと、本来はアイルトン・セナのマシンにはヘルメットを支えるヘッドレストは付いておらず、セナ(175cm)より身長の低いプロスト(167cm)のカウルには白いヘッドレストが装備されていた。

ロールバーにはブラジル国旗とSennaの文字。

ステアリング(パーソナル製)のボタンは少なくシンプルで、右(緑)はオーバーテイクボタンで一時的にブーストを高めることが出来、左(赤)はピットと交信するためのラジオボタン。

※当時の映像なんかを見ると右のオーバーテイクが赤ボタン、左のラジオが緑ボタンだったが、どこかで付け替えられたのかな??

パネルの一番上部にある回転計はデジタル式で、タコメーターは200回転ずつの目盛り刻みになっていて14,000回転まで表示が出来、その一段下のディスプレイスクリーンにはエンジンの情報、燃費、水温、油温、吸気温などが表示される。

パネルの右上から順に、ターボのブースト圧の調整つまみ、イグニッションスイッチ、燃料ポンプスイッチ、ブレーキバランス(左に回すとフロント寄り、右に回すとリア寄り)のダイヤルがある。

パネル左側の大きなカバー付きボタンは消火器ボタン。 

 

コックピット側面の奥側に見えるのはスタビライザーコントロールのレバー(ソフトからハードの8段階)で、写真の手前側(見えない^^!)にはH型パターンのシフトレバーがある。

マクラーレンがセミオートマチックシフト標準装備となるのは1992年になってからだが、ライバルチームのフェラーリはこの翌年1989年にセミオートをF1で初めて搭載することになる。

マクラーレンMP4/4 リア

MP4/4のターボインレットダクトは初期型ではサイドポンツーン上にシュノーケル状のタイプが採用されていたが、後期型(上の写真)では高速走行時の空気抵抗(ドラッグ)低減のためにシュノーケルではなくマシン側面のインダクションから空気を取り込む仕様に変更。

後にバットマンディフューザーなるものが登場してくるが、この時期はまだまだシンプルな形状のディフューザーだった。

フジテレビの80年代後半F1オープニングCGのような真後ろからの一枚^^

丸いテールランプがレトロで可愛い。

マクラーレンMP4/4 エンジン(ホンダRA168E)

シーズン16戦15勝、前人未到の勝率93.8%を成し遂げたマクラーレンMP4/4搭載のホンダエンジンRA168E、最高回転数は12,500rpm、最大出力は685馬力(最大ブースト時1500馬力?)を誇った。

前年にホンダV6ターボエンジンを搭載したウィリアムズFW11Bはコンストラクターズタイトルを獲得しホンダエンジンには既に強さがあったが、更に強く燃費効率も良い信頼性の高いエンジンを開発できた背景には政治的な圧力があった。

 

当時F1を統括していたジャン・マリー・バレストル(フランス)会長が「極東の小さな国の奴らがF1で席巻するなんて気に食わん」と、レギュレーション(加給圧を4バールから2.5バールへ変更、燃料タンクを195ℓから150ℓへ変更)によるホンダ潰しを仕掛けたからだ。

実際にバレストル会長は「ルノー(フランス)がF1で最初にターボエンジンを持ち込んだがチャンピオンを採れなかったのに対してホンダは何度も勝ちやがって」と発言(1987年)。

これに対しホンダの桜井総監督が「ルノーの功績は認めるが、ルノーは技術競争に負けたのだからしょうがない」との反論を聞いたバレストルが「F1にイエローはいらない」と人種差別発言し問題になった。

 

これらのレギュレーション変更を受けホンダは課題であった燃費を、電子制御や吸気温度の制御、ターボチャージャーのタービンブレードなどのパーツ改善により、パワーを落とすことなく燃費改善を行いこの”攻撃”に立ち向かった。

特にFIAがターボ加給圧を制限するために各チームに配給したPOV(ポップ・オフ・バルブ)は製造品質が安定しておらず、作動圧力にもバラつきがあり加給圧2.5バールに到達する前にバルブが開いてしまいターボチャージャー(パワー)性能を引き出せないといった問題もあった。

しかし、この問題に対してホンダは吸気温度コントロールシステムを開発し、吸気温度を適温に制御することで燃料の充填効率を上げるなどしてさらに高回転&高圧縮化を実現していた。

マクラーレンMP4/4 動画(エンジン始動)

マクラーレンMP4/4ホンダのV6ターボエンジン音、野太くモンスター感のある”ブロロ~ン”という音がとても素敵でした。

エンジン始動の動画は2012年モータースポーツジャパンinお台場、および2014年F1日本GPにて撮影。

2014年のエンジン始動は、この後に2度インディ500優勝を成し遂げることになる佐藤琢磨さんがアクセルワークで行ってくれています。

ワイヤーを引いて聞けるだけでも有難いですが、レーサーが実際にシートに乗り込んでペダルで音を聞かせてくれるとより感動的でした。

まるで自分が過去の「1988年」へとタイムスリップして「セナの足音」を聴いているようで鳥肌が立ちました><!

いつまでもこのサウンドに生き続けて欲しい・・・☆

↓MP4/4特集の書籍↓

1989年 マクラーレンMP4/5・ホンダ(Mclaren MP4/5 Honda)

#2 アラン・プロスト車 (#1はアイルトン・セナ)

マクラーレンMP4/5・ホンダ(Mclaren MP4/5 Honda)はニール・オートレイが開発した1989年のマシン。

ドライバーラインナップは昨年と変わらず、前年にドライバーズタイトルを獲得したアイルトン・セナがカーナンバー1を、アラン・プロストがナンバー2を付けた。

1989年からはターボエンジンが廃止となりNAのホンダV10エンジンを搭載することになるが、このMP4/5もシーズン16戦中10戦で勝利(ポールポジションは15回)しコンストラクターズタイトルを獲得。

またドライバーズタイトルはセナ・プロで争われたが、鈴鹿シケインでの接触「事件」の後にアラン・プロストがドライバーズタイトルを獲得した。

 

セナプロという最強の2人によるシーズンを終えたが、サンマリノGP(タンブレロでのフェラーリ・ベルガー炎上事故の後)での「紳士協定破り事件」から2人の関係には亀裂が生じ、メディアも巻き込みながら2人の確執は渦を巻くように大きくなっていった。

マクラーレン内ではセナ派・プロスト派に完全に分断されていき、同じチームでありながらもまるでそれぞれ別のチームとなってしまった。

また、セナは多くのスタッフとコミュニケーションを図りホンダとより結びつきを強くして協働する一方で、プロストはチーム内で狭く限られたメンバーとしか話さなかったため孤立を深めてゆく。

このセナ対プロストの確執は第15戦の日本GPでピークに達し、首位走行のプロストを追走するセナがシケインでイン側に飛び込み両者は接触、プロストはリタイアという最悪の結末を迎えた。

デモランで撮影した一枚・・・ここで起こった89年の歴史的瞬間がよみがえる

押し掛け再スタートで追い上げてトップチェッカーを受けたセナはレース後に失格となるが、その裏ではセナとホンダに対して不満を抱いていたプロストが味方につけていた同郷の統括ジャン・マリー・バレストルがいた。

セナ側が折れる形で謝罪を行ないスーパーライセンスはく奪は免れたが、個人的、政治的な対立は翌年へと繰り越されていく・・・

マクラーレンMP4/5 フロント

マシンのモノコック・シャシーに関しては前年MP4/4ベースの設計のままで、空力的な開発アプローチはさほどされておらず全体的に直線的なデザインで、まだエンジンパワーに頼ったマシンになっている。

フロントエリアの変更はなく、フロントウィングは横一直線のフラップ、フロントサスペンションも昨年同様プルロッド式を採用したままだった。

1989年にレース優勝を経験したチームのうち、ランキング1位マクラーレンと4位のベネトンがプルロッド式、2位ウィリアムズと3位フェラーリは主流であったプッシュロッド式を採用。

全20チームのうち12チームはプッシュロッド式を採用していた。

ライバルのマシン紹介はコチラ

 

外観で前年と大きく違うのは背の高いエンジンカウル(ヘルメット上部のインダクションポッド)と、サイドポンツーン側面のくびれが生まれた点。

コックピットの回転計はデジタルだが、昨年のものとは変わりオレンジ色のディスプレイスクリーンとなっている。

タコメーターの目盛りは200回転ごとに刻まれ14,000回転まで表示可能になっていて、写真では11,500回転あたりにレッドゾーンを示す赤いマーキングがされている。

ステアリングはパーソナル製のもので、コックピット内側左側面には8段階調節できるスタビライザーレバーが見える。

ライバルのフェラーリがバタフライシフトの7速セミオートを投入したのに対し、マクラーレンはH型パターンの6速マニュアル。

セミオート搭載元年ハイテクマシンのフェラーリは開幕前テストからトラブルが多発、シーズン中もリタイアを繰り返し「運よく」タイトル争いの脅威とはならなかった。

 

プロストのマシンと異なり、セナのマシンのスロットル(アクセルペダル)は跳ね返りが非常に少なく柔らかい仕様になっており、セナが足の皮膚感覚で反応を感じながら小刻みにアクセルを煽る(セナ足)スタイルに合わせていた。

佐藤琢磨さんがデモランでセナ仕様のスロットルで走行した際「こんなにスロットルが柔らかいの!?バンプでスロットルを安定して抑えられる?」と感じたという。

マクラーレンMP4/5 リア

シーズン当初は前年同様に縦置きギアボックスだったが、第9戦ドイツGPからは重量バランス改善を目的として横置きギアボックスを搭載することとなった。

この年も前年型MP4/4と同様のシンプルなディフューザー。

 

他チームでは空力的革新やハイテク化を進めており、フェラーリはF1初となるセミオートマチックトランスミッションを実践投入、またマーチはエイドリアン・ニューウェイにより空力面優先としたマシン設計で、戦闘力の劣るジャッドV8エンジン搭載ながらも時にトップチームを食って表彰台を獲得する勢いも見せた。

1989年はホンダが最強エンジンを開発したためMP4/4のような強さをまだ維持できたが、そのような技術革新が進むF1界でマクラーレンは徐々に後れを取り始めることになる。

マクラーレンMP4/5 エンジン(ホンダRA109E)

マクラーレンMP4/5搭載のホンダエンジンRA109E、最高回転数は13,000rpm、最大出力は685馬力。

ホンダは当時としては異例のV10エンジンを開発し搭載したが、それまでNAエンジンとして伝統的であったV8とV12でもなくV10エンジンを採用したのはホンダ(マクラーレン)とルノー(ウィリアムズ)のみ。

V10エンジンでは経験したことのない特有の振動対策が必要であったが、エンジンパワー・回転数競争に勝つためにV8採用を避け、軽量でコンパクトなV8と高出力のV12特性を良いとこ取りができる中間のV10を採用する形になった。

ホンダは当時最高のエンジンではあったが、プロストはセナ・ホンダに対して不信感を持っており「セナのエンジンだけホンダは特別扱いし優遇している」と感じメディアに対しても「不公平な扱いを受けている」とアピールしていた。

結果的に、エンジン製造シリアルナンバーの奇数・偶数のものをセナとプロストに割り当て、更に1レースごとに奇数・偶数の割り当てを入れ替える事で公平を図った。

そのうえ、プロストには好きな方のエンジンを毎回選んでよいという条件(セナ側は同意していた)を提示する寸前までいったが、そこまですると逆に大人げないということで実現はしなかった。

マクラーレンMP4/5 動画(デモラン・エンジン始動)

ホンダV10初年度のMP4/5(#2 アラン・プロスト車)のデモランの動画です。

デモランは2016年F1日本GPのものでドライバーはストフェル・バンドーンが担当。

後半のデモラン&エンジン始動は2012年お台場メガウェブフェスタにて撮影したものです。

1990年 マクラーレンMP4/5B・ホンダ(Mclaren MP4/5B Honda)

#27 アイルトン・セナ車 (#28はゲルハルト・ベルガー)

マクラーレンMP4/5B・ホンダ(Mclaren MP4/5B Honda)は、ニール・オートレイが前年MP4/5の改良型として開発した1990年用のマシン。

ドライバーラインナップは昨年と変わり、アラン・プロストとのドライバーズタイトル争いに敗れたアイルトン・セナがカーナンバー27、そしてチームメイトにはフェラーリから移籍してきたゲルハルト・ベルガーが28を付けた。

昨年のセナ・プロストの確執はチーム内分断まで招く事態となっていたが、プロストとは対照的にオープンで明るく気さくなベルガーの性格、そして数々のいたずらによりチーム内の雰囲気は一気に明るくなり一つにまとまっていった。

 

マクラーレン内で孤立しフェラーリに移籍したアラン・プロストだったが、この年もドライバーズタイトルを懸けた戦いはセナとプロストで行われシリーズ終盤まで続いた。

そして、昨年のシケインでの衝突のようにセナ・プロのドラマはまたもや日本GP鈴鹿サーキットで最終局面を迎えることに・・・。

日本GPで鈴鹿入りしたセナは「ポールのスタート位置をグリップのよいレコードライン側に変更して欲しい」と要求、いったんは認められたが因縁のバレストル会長に却下されてしまう。

予選でポールポジションを勝ち取ったセナだったが、望まぬイン側でのスタートを切ることとなり2位スタート(レコードライン側)のプロストと1コーナーへと並んで「突入」。

再び接触し2人は砂煙の中に消えていった・・・。

2年連続の鈴鹿でのセナ・プロ衝突は大きな話題になったが、前年とは正反対にリタイアによってアイルトン・セナは2度目のドライバーズタイトルを獲得した。

昨年の低速シケインでの接触と異なり、高速で突入する1コーナーでの「報復・撃墜」は非常に危険であり多くの批判を生んだ。

 

このMP4/5Bはシーズン16戦中6戦で勝利(ポールポジションは12回)しコンストラクターズタイトルも3年連続で獲得する結果となった。

マクラーレンMP4/5B フロント

MP4/5Bという型名から分かる通りニューマシンではなく昨年型MP4/5の進化版となっているが、エアロ面では大きな変更が加えられている。

変更点としてラジエターインテークは縦細になり、前方部も後方部もなだらかな曲線を描くサイドポンツーンと変更され、側面のエアアウトレットは使用環境により開口部の大小を使い分けた。

 

また、フロントウィングのアッパーフラップが横一直線ではなく、さらに上側に張り出すデザインになっていて、上の写真では長方形上の追加パーツが三段目に取り付けられたバージョン。

ベルギーGPからは下の写真の様な2枚フラップの新バージョンで挑んだ。

フロントサスペンションは前年同様のプルロッド式を採用

 

さて、注目はやはりこのフロントノーズの最先端にある見慣れた日本語の「ジャンプ」の文字。

日本ではF1人気も高まりバブル状態で、この年から少年週刊誌「ジャンプ」がスポンサーになったがスポンサー額は1億円と言われた。

絆創膏くらいの小さいロゴ・・・走ってたらF1中継で一切見えないですよね^^;

当時「少年ジャンプ」には鳥山明さんが描いたドラゴンボールとコラボしたF1イラストやステッカーなんかもあって、興奮したのを覚えている。

 

フロント周りに関してはティレル019のハイノーズ(ドルフィンノーズ)の影響を受け、マクラーレンも独自にハイノーズ「クロコダイル・ノーズ」を開発。

モノコック前方部分から強引に持ち上げたノーズに、吊り下げではなくそのままウイングが付いているため、ウイングと地面には強烈な隙間が・・・。

アイルトン・セナがモンツァで10週だけテスト走行を行ったが「縁石(前)が見えない」とのフィードバックによりこのハイノーズ案はお蔵入りとなった。

この年もまだセミオートマチックトランスミッションは搭載されておらず6速マニュアルだった。

ステアリングはパーソナル製。

写真はセナのマシンだが、身長175cmのセナに対し今年加入したゲルハルト・ベルガーは185cmというF1界では珍しい高身長のためコクピットスペースの狭さに悩まされることに・・・。

モナコGPではベルガーのためにコックピット内のダッシュボードを上方へ4㎝ずらす対策までとられた。

マクラーレンMP4/5B リア

ホンダV10エンジンの高出力・高回転化によりラジエターを中心とした熱交換器の大容量化が求められた。

この写真ではサイドポンツーンのエアアウトレットは全開になっているが、低速サーキットや決勝レースなどで排熱対策が必要な際はカウルで塞がずに開口部を全開状態で走行。

予選時や高速サーキットなどではドラッグ(空気抵抗)低減のために側面部分が塞がれ、ラジエターがわずかに見える状態になっていた。

こちらはバットマンディフーザーの後に採用されたシンプルな形状のもの

印象的な外観変更点としては、強力なダウンフォースを発生させるために開発された半円形のエアトンネルを5つ連ねた形状のバットマンディフーザーが採用された事。

この5連式エアトンネル状のディフーザー、元々はエイドリアン・ニューウェイがマーチ881で開発したデザインだった。

ただ、高速走行時のバウンドや姿勢変化によって挙動が乱れコーナリングバランスが悪くなるとの事から、第10戦のハンガリーGPからは写真のようなオーソドックスでシンプルな形状のディフューザーへ変更。

バットマンディフーザーを廃止しダウンフォースを減少させてでもマシン挙動を取り戻す策が採られた。

マクラーレンMP4/5B エンジン(ホンダRA100E)

マクラーレンMP4/5B搭載のホンダエンジンRA100E、最高回転数は13,000rpm、最大出力は690馬力。

スロットルバルブはスライド式から応答性のよいバタフライ式へと変更、また1990年シーズンでホンダエンジンはバージョン1から6まで開発継続し進化させた。

実際には最高回転数は14,000回転に達するところまで来ており、シフトダウン時に15,000回転を瞬間的に超えても許容レベルだったとされている。

当時は予選用や決勝用に専用エンジンが使い分けられ、例えばホームレース用の鈴鹿スペシャルや、標高が高く空気の薄いメキシコ用など、サーキットに合わせた仕様のエンジンが持ち込まれた。

1戦ごとに2人に約10基のエンジン、年間では200基以上のエンジンが用意された。

1991年 マクラーレンMP4/6・ホンダ(Mclaren MP4/6 Honda)

マクラーレンMP4/6(McLaren MP4/6 Honda) はニール・オートレイとアンリ・デュランが開発設計した1991年のマシン。

ドライバーのラインナップは昨年と変わらず、昨年ドライバーズタイトルを獲得したアイルトン・セナ(カーナンバー1)とゲルハルト・ベルガー(カーナンバー2)の親友コンビ。

 

MP4/6で思い出すのは高音域のホンダV12の美しい音色と、セナが母国初優勝を遂げたマシンという事。

第2戦のブラジルGPでは、レース終盤にギアボックスのトラブルで6速ギアのみで走行、低速ヘアピンもエンストを巧みに回避しながらゴールラインにたどり着きセナ念願の母国初優勝。

奇跡的なトップチェッカーを受けた後セナは号泣しヘルメットの中で叫び、ウィニングランでは疲労困憊のため自らマシンから降りることが出来なかった。

表彰台では残された力を振り絞って頭上にトロフィーを掲げ上げる・・・その姿はとても感動的でした。

 

伝説のレースとなったブラジルGPも含め開幕4連勝を果たしたMP4/6だったが、シーズン中盤はエイドリアン・ニューウェイ開発の空力マシン・ウィリアムズFW14の圧倒的な強さに連敗を喫した。

しかし、Hondaの創始者である本田宗一郎さんが亡くなった直後のハンガリーGPで、新型のホンダエンジン、シェル開発の特殊燃料、軽量シャシーの投入により勝利。

日本GPではノーズを8cm延長したロングノーズ仕様が持ち込み予選フロントローを獲得し、決勝ではセナとタイトル争いをしていたナイジェル・マンセルがリタイアしたこともあり、アイルトン・セナが3度目のドライバーズタイトルを獲得

セナが愛した日本、ホンダ、その本拠地である鈴鹿で3回ともタイトル決定。

 

MP4/6は16戦中8戦で勝利(ポールポジションは10回)し、マクラーレンは4年連続のコンストラクターズチャンピオンになった。

マクラーレンMP4/6 フロント

ライバルチームのフェラーリから加入したアンリ・デュランが空力を担当したためフェラーリに似通ったデザインとなった。

フロントサスペンションはMP4/4以来のプルロッド式からフェラーリと同様プッシュロッド式に変更され、フロントサスは3つのバージョンが投入された。

すでに時代遅れになっていたオス型(型の外側にカーボンシート等を貼り付け焼き上げる)で成形されたモノコックはこの年がラストとなり、翌年は工数やコストはかかるが局面加工がしやすいメス型(型の内側からカーボンクロス等を貼り付け焼き上げる)の成形方法が採られることになる。

サイドポンツーンもフェラーリのような縦細のラジエターインテークで、背が高く前方から後方へと曲線的なデザインのものに変更された。

#2 ゲルハルト・ベルガー車

フロントウィング翼端板には底面から両フロントタイヤ後方まで伸びる形状のボーテックスジェネレーター(渦流生成器)が装着されていた。

ノーズ先端には昨年同様に週刊少年「ジャンプ」のスポンサーロゴ。

今年もステアリングはパーソナル製。

ライバルであるフェラーリとウィリアムズがセミオートマチック・トランスミッションを採用しハイテク化を進めていたが、この年もマクラーレンはH型パターンの6速マニュアルシフトを採用。

ドイツGP直後のテストで、マクラーレンはチーム初のセミオートマ搭載車をセナのために用意し、セナは「セミオートマはドライビングを驚くほど容易にしてくれる。一度使ったらもうマニュアルには戻りたくない」と絶賛。

しかし、ハンガリーGPフリー走行でセミオートマチックが試されたがスピンを演じたこともあり実戦投入は見送られ、実際に投入するのは翌年1992年マシンMP4/7Aまでお預けになった。

マクラーレンMP4/6 リア

エンジンをV10からV12へスイッチしたこと、燃料タンクの大型化によりホイールベースは4㎝長くなった。

後から眺めるマシンも美しい。

リアウィングがほぼ垂直に立っていて壁状態・・・

おかげでマルボロロゴが見やすいですね^^;

マクラーレンMP4/6 エンジン(ホンダRA121E)

マクラーレンMP4/6搭載のホンダエンジンRA121E、最高回転数は14,800rpm、最大出力は780馬力。

マクラーレンとしては初となるV12エンジン搭載となった。

V12エンジンのネックとなるはずだったエンジン重量は、V10よりも5.5kg軽い154kg。

 

ホンダはF1第1期活動以来となるV12エンジンを開発したが、当初は前年のV10エンジンに比べてアンダーパワーだったともいわれ、アイルトン・セナは開幕前テストからパワー不足を訴え続けた。

この年もエンジン技術開発はシーズン中も進められ、イギリスGPではボア・ストロークを変更、第11戦ベルギーGPには可変吸気システムを採用し、低回転時のトルク発生最適化が図られた。

 

マクラーレンはシーズンを通してのエンジン改良とシャシー改良で、辛うじてウィリアムズに競り勝った。

しかし、これまでエンジンパワーで勝利してきたマクラーレンとは異なり、ウィリアムズのような空力特性が優れていることが勝利の条件になる時代はもう到来しており、この年を最後にマクラーレンは低迷し1998年までコンストラクターズを獲ることはなかった。

マクラーレンMP4/6 動画(デモラン)

ホンダV12初年度のMP4/6(#2 ゲルハルト・ベルガー車)のデモラン動画です。

前半は2013年F1日本GPのホームストレートにて撮影。

後半は2015年F1日本GPにて1コーナーから撮影したもので、デモラン担当ドライバーはゲルハルト・ベルガーご本人です^^!

1992年 マクラーレンMP4/7A・ホンダ(Mclaren MP4/7A Honda)

マクラーレンMP4/7A (McLaren MP4/7A) は、ニール・オートレイとアンリ・デュランが開発した1992年用のマシン。

ドライバーラインナップは昨年同様アイルトン・セナ(カーナンバー1)と親友ゲルハルト・ベルガー(カーナンバー2)。

MP4/7Aと言えば、モナコGPのアイルトン・セナと強敵ナイジェル・マンセルの「ここはモナコ、モンテカルロ。絶対に抜けない!」超接近バトルが印象的でした。

モナコ・マイスター「セナ」はこのモンテカルロで通算5勝(翌1993年も勝利し通算6勝になる)を記録。

しかし、この年の第13戦イタリアGPでホンダはF1活動休止を発表し、アイルトン・セナ&ホンダという黄金タッグは終止符を打つことになった。

 

マクラーレンMP4/7Aは独自のセミオートマチックシステムや電子制御スロットルシステム(フライ・バイ・ワイヤー・システム)を投入したが、一番のライバルであったウィリアムズFW14Bは開幕戦から5戦連続のポール・トゥ・ウィンで他チームを全く寄せ付けない速さと信頼性を見せつけた。

ウィリアムズFW14Bは最先端の電子制御システム(セミオートマチックトランスミッション、アクティブサスペンション、トラクションコントロール、ABSなど)を搭載したハイテクフル装備マシンだった。

 

マクラーレンMP4/7Aが16戦中5勝(ポールポジションは1回)したのに対し、ウィリアムズFW16Bは16戦中10勝(ポールポジション15回獲得、うちナイジェル・マンセルが14回PP)とシーズンを完全圧倒。

ドライバーズタイトルもナイジェル・マンセルが第11戦ハンガリーGP時点で早々と決めてしまった。

ドライバーズランキングではウィリアムズのマンセル&パトレーゼに次いで3位にベネトンのミハエル・シューマッハが食い込み、マクラーレンのアイルトン・セナ4位、ゲルハルト・ベルガー5位という結果になった。

マクラーレンMP4/7A フロント

マクラーレンMP4/7Aでは当時主流となっていたメス型成型によるカーボンモノコック製造を初めて採用、昨年まで採用されていたオス型成型でアッパーカウルを被せるタイプから脱却した。

細くて曲線的なタイプに変更されたフロントノーズ(少しハイノーズ化されている)には、アクティブサスペンションではなくパッシブサスペンションが搭載さてている。

シャシー名称がMP4/7ではなくMP4/7「A」となったのは、TAGエレクトロニクス製のアクティブサスペンションを搭載した改良型MP4/7「B」を準備していたため。

しかし、アクティブサスを搭載した改良型マシンMP4/7Bがシーズン中に実戦投入されることはなく、翌年1993年のMP4/8としてアクティブサス搭載マシンが登場することになる。

 

写真のクリアタイプの風防はシーズン序盤に使用されたもので、ドイツGPからは黒く塗装された風防、ポルトガルGPからは赤く塗装された風防を使用した。

この年はフロントノーズ先端の「ジャンプ」のスポンサーロゴがなくなっている。

前年のハンガリーGPでテストしていたセミオートマチック・トランスミッションが正式にシーズン採用されコックピット内からシフトノブが消えた。

MP4/7Aに採用されたセミオートマチックシステムは、アクセルペダルの動きを電子制御でエンジンに伝えるもので、ステアリング中央上部のボタンを押すだけで自動で連続シフトダウンができたのはMP4/7Aだけだった。

ステアリングはナルディ製へと変更された。

アイルトン・セナは繊細なステアリングが好みだったため直径が大きくグリップ(握り)の細いのものを使用。

一方で、ライバルの暴れん坊ナイジェル・マンセルは、元々は直径が小さく握りの太いステアリングを好んで使用していた。

 

スロットル制御は物理的なワイヤーリンケージに代わり、Hondaとマクラーレンが共同開発した電子制御スロットルシステム(フライ・バイ・ワイヤ・システム)が導入された。

写真はないですが、そのスロットルを踏み込むセナの真っ赤なドライビングシューズはミズノの特注品で、1991年の日本GPの際に石膏で足型を採って作られたもので、セナの足に完全に合わせているため左右で形が若干異なる。

鹿の革を用いたもので一足12万円、セナの「足裏の皮膚感覚でアクセルを踏みたい」との希望からソールや母指球の個所は薄く加工されており、天候やレースに合わせて数セット用意されていたシューズを履き替えていたと言う。

マクラーレンMP4/7A リア

後から見たマシン形状は大きく変わらないが、リヤウイングのステーが上段まで伸びておらず、下段だけを支えるロワウイングマウントが採用された。

ホンダV12パワーを受け止めるリヤウイングは垂直に立っていてマールボロロゴが見やすい^^;

MP4/6(1991年セナ車)のスリップストリームに入るMP4/7A(1992年セナ車)の図^^!

右奥には本記事の冒頭で紹介したMP4/4(1988年セナ車)がいる。

マクラーレンMP4/7A エンジン(ホンダRA122E/B)

ホンダ最後のV12エンジンとなったRA122E、最高回転数は14,800rpm、最大出力は740馬力。

Vバンクが前年の60度から75度に変更、全高も20mm下げられ低重心化が図られた。

第5戦サンマリノGPからはRA122E/Bの進化型エンジンが投入された。

ホンダのV12は最高傑作のように感じたが、エンジンパワーに頼ってきたMP4シリーズはライバルチームに比べてシャシー開発が停滞していたため、既にトータルパッケージで勝てないマシンとなってしまった。

ホンダエンジンの鈴鹿ラストラン(F1第二期)

1992年のF1日本GPはホンダと黄金タッグを組んできたアイルトン・セナとの最後の本拠地レースだった。

日本のエンジンがセナと組むのが最後なんだなあと、当時私は小学生だったがテレビでのセナ・ホンダ応援熱と同様に、私のテンションも最高に高まっていたのを覚えている。

決勝レースではファンの期待の高まりとは正反対に、数週で呆気なくセナのエンジンはブローしてしまった。

 

エンジンブローに至る要素は決勝前から積みあがっていた。

予選がある土曜日は風が強くストレートでは物凄い向かい風だったため歯車比はクロスレシオ寄りのセッティングになっていた。

しかし、決勝の日曜日には風向きが変わりストレートで追い風となりこの短いギアだとオーバーレブしてしまうという事で、通常ならば決勝に向けて2~3枚程度の歯の段階を変えて長いギア(ワイド)にするところ、7~8枚の変更をかける必要があるとエンジニアは提案したがセナは嫌がった。

セナとエンジニアはお互いに主張を譲らず夜中まで言い合いになり、結果的にはセナが望む2~3枚だけの変更となったが、ストレートで回転をあげすぎオーバーレブさせエンジンを傷めてしまう・・・。

 

エンジンを交換し決勝に臨んだセナだったが、そのエンジンが3周目にトラブルを起こしダンロップコーナーでマシンを止めることになった。

ホンダを愛し、日本を愛したセナがホンダラストランとなるこの鈴鹿を全力で駆け抜けようとしたが、コックピット内に仕込んでいた日本国旗を振ることが出来ないまま日本GPを終えることになった。

 

もしも、土曜日の風向きが違っていたら、

もしも、セナがエンジン交換をしなくてすんでいたのなら、

ホンダ・セナがファンとともにハッピーエンドの鈴鹿ラストランで物語を終えていたのかもしれない。

おまけ ヘルメット・ステアリング・トロフィー

アイルトン・セナのヘルメットと、チームメイトのアラン・プロストとゲルハルト・ベルガーのヘルメット。

この時代はヘルメットのデザインはシンプルで、出身国の国旗カラーイメージだったりで覚えやすかったですね。

1989年のMP4/5のパーソナル製ステアリング。

左がアイルトン・セナ、右がアラン・プロストのもの。

写真左は日本GPの優勝トロフィーで手前が1988年のもの。

写真右はアメリカGP、ブラジルGPの優勝トロフィー。

さいごに

今回はアイルトン・セナがホンダと最強タッグを組んだマシン全5台の紹介でした。

1988年から1992年の間のマクラーレンMP4シリーズのマシン、最強のエンジンを積んだマシンだからこそ世界を動かすような沢山のドラマがあった。

最速のマシンと勝利を得るために、セナとマクラーレンとの間には戦いがあり。

セナとホンダの間にも戦いがあり。

ヘルメットを被りコースへ出ればチームメイトであっても容赦しない。

セナが最も勝利に憑りつかれた時代だったからこそ、どのシーズンも記憶に残るものだった。

 

勝利の為の衝突などアクシデントは見たくないけれど、ホンダの第4期ラストイヤーはバチバチのバトルを期待しちゃう^^

2021年の開幕戦を見る限り、コンストラクター、ドライバーズタイトルを獲得するのも夢じゃないところまで来ているように見えた。

ホンダ撤退前の最後の最後に大きな素敵なドラマを見たいですね!

だって、ズタボロだった苦しい第4期スタート地点からやっとここ(頂上手前)まで来たんだもん!

それではまた^^!

セナが最後に所属したウィリアムズのマシン

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