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アイルトン・セナが事故死したサンマリノGPで乗ったウィリアムズFW16(Williams FW16)

ウィリアムズ
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こんばんは、ハッピーサトさんです。

5月1日はアイルトン・セナの命日。

1994年のサンマリノGP(イモラ・サーキット)のタンブレロでの事故で亡くなってから27年。

 

今日は、セナが最後に乗ったウィリアムズFW16をミニカー(1/43サイズ サンマリノ仕様)の写真とともに振り返っていきたいと思います。

※岐阜の実車(ショーカー)を見に行く日が来たら記事(写真)もリニューアルしたいと思います^^

ウィリアムズFW16について(ウィキペディア)

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ウィリアムズFW16 フロント

エイドリアン・ニューウェイとパトリック・ヘッドによって開発された1994年のウィリアムズFW16。

前年まで速さを左右したアクティブサスペンション、トラクションコントロール、アンチロックブレーキシステム、後輪操舵など、ハイテク装備禁止に対応した初年度マシン。

アイルトン・セナはカーナンバー2で参戦し、チームメイトはカーナンバー「0」を付けたデイモン・ヒル。

開幕戦のブラジルGPではヒルは「0」ではなくルノーのロゴを連想するような「♢」を付けた。

フロントノーズはとてもシャープな形状で、フロントウィングのメインプレートはノーズのさらに先までせり出している。

昨年までのキャメルではなくロスマンズとなった印象的なカラーリング。

F1、WEC、ラリー、バイク、どのカテゴリーでもロスマンズカラ―は美しかったですね^^

ベネトンのような吊り下げ式のハイノーズではなかったが、ややフロントノーズがもち上げられ空間が作られているのが見える。

イタリア製「O・Z Racing」のホイールとグッドイヤーのタイヤ。

フロントウィング翼端板には底面から両フロントタイヤ後方まで伸びる形状のボーテックスジェネレーター(渦流生成器)が装着されていた。

セナの事故後、ダウンフォース削減・スピード抑制の一環でこのようなエアロパーツも廃止となった。

サンマリノGPのスタート前には、セナは珍しくコックピット開口部(風防部)に脱いだヘルメットを置き、まるで自信と対面しなにかを悟るような神妙な面持ちでコックピット内に佇んでいた。

そして、タンブレロでの事故後にはコックピット内から前日に亡くなったローランド・ラッツェンバーガーの国旗(オーストリア)が発見されている。

セナがサンマリノGPで優勝した際にラッツェンバーガーを偲び、ウィニングランまたは表彰台で掲げようとしたものと思われる。

 

開幕戦では白のサイドミラーでオンボードカメラが右側に搭載されたが、サンマリノGPでは写真の様に青のサイドミラーでオンボードカメラは左側に搭載された。

ウィリアムズFW16 リア

このマシンの最大の特徴はリアサスペンション。

FW16のリアサスペンションはとても珍しい形状で、アッパーアームはドライブシャフトまで一緒に覆ってしまう一枚のウィング状カバーが採用され空力面に配慮されている。

ミニカーでもしっかりと「一枚」になったアッパーアーム(ドライブシャフト込み)、プッシュロッド、ロワアームが見える。

リアウィング下にテールランプを設置することにより気流が乱れるのを防ぐために、カウルのクリアレンズの奥に埋め込まれるようなテールランプも特徴的。

リアウィングの下段のプレートは空気を受ける面積を増やすために弓なり(ブーメランウィング)になっている。

1994年のサンマリノGP、イモラ・サーキットでミハエル・シューマッハ(ベネトン)が追ったこの後ろ姿がセナ最後の雄姿に。

 

シューマッハはセナ亡きあとのF1界をけん引した。

勝利のためには手段を選ばないレースを重ね多くの批判と論争を生んだシューマッハだったが、2000年のイタリアGPでセナと並ぶ41勝目を挙げるとインタビューの際に大号泣した。

あのシューマッハでさえタンブレロで追ったセナの後ろ姿は、どれだけ時が流れても目に焼き付いて残っていたのでしょうね。

セナのタンブレロ事故原因の真相

1992年(ナイジェル・マンセルで王者)、1993年(アラン・プロストで王者)と最強マシンだったウィリアムズ。

1994年も最強マシンとなるはずで、アイルトン・セナは「ウィリアムズに乗れるなら契約金は必要ない」とまで言わせたウィリアムズ。

しかし、昨年とは全く違うマシンとなったFW16は空力的に神経質でコントロールが難しく、セナは開幕前にマシンの感触は悪くはないが「もし今年、大きな事故を起こさなければ、それはラッキーだ」と一部に語っていたという。

 

エイドリアン・ニューウェイによれば、FW16の持つマシン挙動の不安定さはフロアのダウンフォース(グラウンドエフェクト)によるものであるとサンマリノGP前に判明していた。

具体的にはフロント車高が極端に下がった際、長いサイドポッドの前端部に起因する気流の「失速」を招くとの見解から、短いサイドポッドへのデザイン修正が決まっていた。

 

サンマリノGPではスタート直後の事故からセーフティーカーが導入され、その間にタイヤが冷え空気圧が低下(車高が下がる)し、リスタート後には火花を散らし激しくボトミングを起こし続けた。

そして、タンブレロの1センチほどのバンプに乗ってボトミングを起こし、ダウンフォースを得るために必要な車高を失なったマシンは「リアをスライド」させたのちコントロールを失なった。

つまり、事故原因についてはマシンフロアによる空力的な不安定さが最大の原因であり、ステアリングコラム破損によるものでないとしている。

そして、セナはこの事態に瞬時にアクセルを緩めたあとすぐにブレーキングに移ったがウォールに激突し、脳を大きく損傷させることとなり亡くなる原因となった。

 

過去にもタンブレロでは大きな事故があり、1987年ネルソン・ピケ、1989年ゲルハルト・ベルガー、1992年リカルド・パトレーゼ(テスト時)などの事故があったがいずれも負傷に留まった。

でも、アイルトン・セナは亡くなった。

エイドリアン・ニューウェイの自伝書では、事故の直前にタンブレロで「リアがスライドしている」ことから、事故の原因がステアリングコラム破損ではないとしている。

ステアリングコラムの破損ならば「リアがスライド」することなく、ウォールに直進したはずであるという事。

↓事故検証についてのまとめ↓

 

個人的にはやっぱり事故原因については正直どうも納得が出来ていない。

けれど、もう長期にわたった裁判も終わっており、当時のマシンはスクラップされこの世に既に存在せず、新たな資料もない。

事故前にステアリングのシャフトが折れたのか、事故の衝撃で折れたのかなどは分からない。

現在でもネット上には、ステアリングへの入力・油圧データなどからステアリングコラムの破損によるものだなどという独自の事故検証記事もあるが、実際の所どうなのかは分からない。

↓参考元 A・ニューウェイの自伝書↓

さいごに

当時、私は小学6年生で深夜のF1中継をビデオ録画しいつものようにに翌朝見たのですが・・・世界のトップに立つアイルトン・セナが亡くなるなんていう状況がちょっと受け止められなかった。

あのグランプリの暗く異様な空気感だけが今でも記憶に残っている。

そして、三宅さん、今宮さん、川井さんが涙しながら震える声を絞り出しながらセナの状況を伝える姿も鮮明に・・・。

 

アイルトン・セナはミハエル・シューマッハとの世代交代バトルをせずに去ってしまい、それと引き換えにF1を始めとしモータースポーツ界の安全性への取り組みは急速に進んでいった。

事故の真相は分からない。

 

セナが、もしも前日ワトキンス医師が誘ったようにレース出場をやめていたら、もしもニューウェイのマシンのデザイン修正がサンマリノ前だったら、もしもスタート直後の事故が無かったら・・・そして、もしもクラッシュ時に違なるルートでのパーツ飛散だったら。

色々な「もしも」を考えてしまうが、もうあの時間には二度と戻れない。

けれど、セナやラッツェンバーガー、そして歴代のレーサー達が今でもレースの安全を祈りながら空から見届けてくれていると思いたい。

それではまた☆

アイルトン・セナ チーム・ロータス時代のマシン

アイルトン・セナ マクラーレン時代のマシン

 

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