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中嶋悟さんの歴代F1マシン全5台 ロータス(Lotus)&ティレル(tyrrell)

マシン写真
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こんにちは、ハッピーサトさんです。

私がF1を観始めたきっかけは1987年にF1デビューした中嶋悟さんだった。

当時まだ5歳だった私は、たった一人の日本人が未知の世界で世界一のレーサー達と戦う姿に一気に夢中になってしまった。

実際の所、ナカジマサトルのサトと、ハッピーサトのサト、

 

この名前の共通点から親近感がめちゃんこ湧いてしまったのです^^;

F1デビュー時のキャメル・ロータスには興奮させられ、1991年の引退時のブラウン・ティレルには涙しました。

今日は、当時のF1ファンを虜にした中嶋悟さんがデビューした1987年から引退する1991年までにドライブしたロータスとティレルの歴代マシンを紹介していきます。

中嶋悟 – Wikipedia  ロータス – Wikipedia  ティレル – Wikipedia

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ロータス99T・ホンダ(Lotus 99T Honda)

#11 中嶋悟さんのマシン

中嶋悟さんがF1デビューした1987年にドライブしたロータス99T。

日本人レーサーと日本製エンジンの組み合わせに大興奮した。

カーナンバー11は中嶋車で、ヘッドレスト箇所に入ったキャメルのラクダとNakajimaの文字が大好きでした。

チームメイトはロータス在籍3年目の#12 アイルトン・セナだった。

小学生の頃に何度もプラモデルを作ったなぁ。

 

もちろんデカールは11番「Nakajima」

 

大人になってからミニカーも購入しました^^!

この年のハイライトは、やはりイギリスGP(シルバーストーン)で予選12位スタートだった中嶋悟さんが4位入賞を果たした事。

ホンダ1-4フィニッシュで、ウィリアムズのマンセル、ピケ、そして同僚セナに次ぐ4位だった。

アクティブサス搭載のハイテクマシンでシーズンを優位に戦えるかと思ったが、アクティブサスの反応精度が悪くて逆に足を引っ張る形になった。

 

搭載されたホンダ製V6ターボエンジンは、最高出力870馬力(フルブースト時1100馬力)、最高回転数12,000rpm。

中嶋悟さんの戦績(1987年 全16戦)

・完走10回、規定周回数不足1回、リタイア5回

・入賞4回(4位1回、5位1回、6位2回)

・日本GP 予選11位、決勝6位

ロータス100T・ホンダ(Lotus 100T Honda)

#2 中嶋悟さんのマシン

中嶋悟さんF1参戦2年目の1988、前年同様にホンダエンジンを搭載したロータス100Tをドライブ。

中嶋悟さんはカーナンバー2をつけ参戦し、セナに代わって加入した前年チャンピオンのネルソン・ピケが#1を付けた。

前年苦戦の原因となったアクティブサスを外し、当時最強だったホンダV6エンジンを搭載していたにも関わらず戦闘力は低く苦しいマシンだった。

 

開幕戦のブラジルGPで1988年唯一の入賞を果たしたけれど、この年のハイライトは日本GPでの7位フィニッシュ。

セナと同様に決勝スタートでエンジンストールしたが辛うじてエンジンが始動、6番グリッドから14位まで順位を落としたものの猛追を見せ7位まで這い上がった。

レース後のインタビューでは「誰かが後ろから押してくれた気がした」と笑顔で答えていた。

母親が亡くなった事はレース後まで隠されていたが、日本GP予選初日に亡くなった母を想いながらのコメントが中嶋さんらしくて、涙を誘うシーンでした。

こういった中嶋さんの穏やかな人柄に惹かれました。

 

だからこそ常に表彰台を夢見ながら応援し続けました^^!

搭載されたホンダ製V6ターボエンジンは、最高出力685馬力(フルブースト時??馬力)、最高回転数12,300rpm。

中嶋悟さんの戦績(1988年 全16戦)

・完走8回、リタイア6回、予選落ち2回

・入賞1回(6位1回)

・日本GP 予選6位、決勝7位

ロータス101T・ジャッド(Lotus 101T Judd)

#112 中嶋悟さんのマシン

中嶋悟さんF1参戦3年目は、ホンダエンジンを失いジャッドエンジンを搭載したロータス101Tをドライブ。

強力なホンダターボエンジンからNAのエンジンへと変更、まるで断食ダイエットしてガリガリになったかのようなボディーになった。

マシンは前年より更に戦闘力が下がりシーズン全体を通して苦戦、ベルギーGPではまさかのピケ&中嶋さん2名揃っての予選落ちという事態・・・。

 

この年のハイライトは、豪雨で非常に難しいコンディションだった最終戦オーストラリアGPで、日本人初のファステストラップを記録し4位フィニッシュを果たした事。

豪雨で視界も悪くプロストが棄権、セナ、マンセル、ベルガーをはじめとしたトップドライバーやベテランドライバーが続々とスピンやクラッシュで戦線離脱。

そのような大荒れのレース展開のなか、中嶋悟さんは19台抜きを披露し4位まで浮上し64週目にはファステストラップ「1分38秒480」を記録。

 

もしもエンジンがミスファイアを起こさず走行し続けていたらリカルド・パトレーゼを抜き去り3位フィニッシュをしていたかもしれない・・・。

36歳で年齢面・体力面にハンデを負っていた中嶋悟さんだったが、繊細かつ正確なドライビングテクニックをもつドライバーであることが全世界に証明された伝説的なレースとなった。

雨のレースと言って真っ先にイメージするのは

 

「雨のセナ」と「雨のナカジマ」でした^^!

搭載されたジャッド製V8エンジンは、最高出力610馬力、最高回転数11,000rpm。

中嶋悟さんの戦績(1989年 全16戦)

・完走5回、周回数不足1回、リタイア7回、予選落ち3回

・入賞1回(4位1回)

・日本GP 予選12位、決勝リタイア(エンジントラブル)

・第16戦 雨のオーストラリアGPでファステストラップ記録

ティレル019・フォード(Tyrrell 019 Ford)

#3 中嶋悟さんのマシン

F1参戦4年目の1990年はチームを移籍しティレル019をドライブ。

中嶋悟さんはカーナンバー3を付け参戦し、チームメイトは開幕戦アメリカGP(フェニックス市街地)でアイルトン・セナと大接近バトルを演じる事となるジャン・アレジ(#4)だった。

 

このマシン最大の特徴は元祖ハイノーズ車であるという事。

イルカの頭部に似た宙に浮いたノーズは「ドルフィンノーズ」と呼ばれ、ノーズ吊り下げタイプのアンヘドラルウィング(コルセアウィングとも呼ばれた)をF1界で初搭載した斬新的な空力デザインマシンだった。

このハイノーズを最初見たときは近未来マシンに見えて大興奮!

 

すぐに他チームも真似て90年代後半には全チームがハイノーズになりましたね。

 

ティレルは6輪車やハイノーズ等なかなかの発明をしますよね^^!

この年のハイライトは地元の日本GP(鈴鹿)で、中嶋悟さんは1987以来ひさびさとなる6位入賞を果たした。

更に同じく日本人ドライバー鈴木亜久里さんは日本人初となる3位表彰台という大記録を達成。

凄かった!亜久里さんの表彰台は嬉しかった!

 

けれども中嶋悟さんの表彰台を先に見たかった・・・という複雑な悔しい気持ちで見てました。

 

だからこそ「次は中嶋さんが」という強い気持ちで応援してました><!

搭載されたフォード・コスワース製V8エンジンは、最高出力620馬力、最高回転数11,750 rpm。

中嶋悟さんの戦績(1990年 全16戦)

・完走5回、リタイア10回、欠場1回

・入賞3回(6位3回)

・日本GP 予選14位、決勝6位

ティレル020・ホンダ(Tyrrell 020 Honda)

#3 中嶋悟さんのマシン

F1参戦5年目はブラウンのカラーリングへと変わったティレル020をドライブ。

チームメイトはカーナンバー4を付けたステファノ・モデナ。

この白黒のカラーリングがお気に入りだった。

 

小学生の時にプラモデル夢中になって作ったなぁ。

 

細い白ラインのデカールが千切れて何度も発狂した・・・笑

マシン自体は前年のコンセプトをそのまま引き継いだもので、フォードV8からホンダV10エンジンへと「進化」し期待は大きく膨らんだ。

だが実際には、前年ベースのシャシーにV8よりも重いV10エンジンへと積み替えたことで、マシンバランスが崩れて戦闘力が落ちてしまった。

後に中嶋さんも「V8からV10にエンジンが変わるからといって、マシン(シャシー)を作り直す資金的余裕は当時のティレルには残念ながら無かった」と語っていた。

 

この年のハイライトは勿論、日本グランプリでの鈴鹿ラストラン。

決勝はマシントラブルによってS字コーナーを直進しタイヤバリアへ突っ込みクラッシュしリタイアし、地元での表彰台を飾れず昨年同様に悔しい母国グランプリとなった。

誰よりも一番悔しい思いだったはずの中嶋悟さん。

 

それでも超満員のファンに笑顔で手を振りながら別れを告げる姿がとても印象的でした。

 

最後の最後まで、ファンを想う中嶋さんらしい姿を見れたことが感動でした。

搭載されたホンダ製V10エンジンは、最高出力650馬力、最高回転数12,000rpm。

中嶋悟さんの戦績(1991年 全16戦)

・完走7回、リタイア9回

・入賞1回(5位1回)

・日本GP 予選15位、決勝リタイア(サスペンション故障)

さいごに

2013年 日本グランプリ鈴鹿サーキットにて

今日はF1日本人初のフル参戦レーサーの中嶋さんの歴代マシンを振り返りました。

中嶋悟さんのF1参戦5年の戦績を横並びにしてみました。

1987年1988年1989年1990年1991年
完走10回8回5回5回7回
リタイア5回6回7回10回9回
予選落ち0回2回3回0回0回
最高位4位6位4位6位5位
入賞回数4回1回1回3回1回
獲得ポイント7点1点3点3点2点
日本GP予選11位6位12位14位15位
日本GP決勝6位7位リタイア6位リタイア

テレビ画面にくぎ付けになって中嶋さんのレースを見て応援してたけど、悔しいレースやリタイアも多かった。

そのたびに「次こそは」と応援をし続けた。

 

ただ当時はまだマシントラブルが多く、トップチームのマクラーレン、ウィリアムズ、フェラーリでさえシーズンの3割近くをリタイアしていた。

また、コースアウトすると即、芝・グラベル・サンドトラップ行きだったので一瞬のミスがリタイアに直結もしましたよね。

とてもシビアな戦いをしなければいけない時代でした。

 

そんな時代を戦い続け、その後の日本人F1レーサーへの「道」を作った中嶋さん。

15万人が声援を送った鈴鹿ラストランでは「ありがとう中嶋」の横断幕や旗で埋め尽くされていた。

夢を与えてくれた中嶋さんへの「ありがとう」の気持ちは、今もそのままこの胸に☆

それではまた^^!

↓中嶋悟さんのラストマシンの特集本↓

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