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アイルトン・セナのサンマリノGPでの事故原因と死因について

GP日記
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こんばんは、ハッピーサトさんです。

1994年5月1日にサンマリノGP(イモラ・サーキット)のタンブレロアイルトン・セナが亡くなってから27年。

あの死亡事故から時間は相当経過したけれど今でもセナの表情や走りは鮮明に覚えている。

そして、どれだけ時間がたってもあの週末にイモラで起きた一連の出来事は忘れられない。

 

アイルトン・セナが亡くなった事故原因については色々な説が語られてきたが、本当の原因は明らかになっていない

 

主に事故原因とされているのはこの2つ。

ステアリングコラム破損によりステアリング操作が不能となり、ウォールに直進し激突した。

②マシン車高が下がりボトミングを起こし、ダウンフォースを失いマシンコントロールが不能になった。

しかし、今でも多くの疑問が残ったまま。

今日は、サンマリノGPでアイルトン・セナが亡くなった事故原因と死因の真相について。

ウィリアムズFW16の設計者であり、またアイルトン・セナ事故死の裁判の被告人といて証言を行ったエイドリアン・ニューウェイ視点での結論をもとに、整理をしてみた。

↓セナが最後にドライブしたFW16↓

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アイルトン・セナのタンブレロにおける事故原因

アイルトン・セナのタンブレロにおける事故原因について、ウィドリアン・ニューウェイの結論は「ダウンフォースを失いリアがスライドした事である」との見解を述べている。

このリアがスライドしたという点は、エイドリアン・ニューウェイが真後ろを走行するミハエル・シューマッハのオンボードカメラ映像(FIAから入手した別角度のもの)から確認を行ったもの。

 

セナのマシンは時速309km/hでタンブレロの継ぎ目(約1cmの段差状のバンプ)に乗った際に十分な車高を得られずダウンフォースを失いリアのグリップを失いリアがスライド。

スライドした瞬間にアクセルを40%まで戻しステアリングを緩めたが、その0.5秒後にはコントロールが出来ないと判断し強いブレーキングへ移行、タイヤをロックさせながら時速211km/hでウォールに激突したとの見解だった。

セナのマシンがタンブレロでスライドした原因

アイルトン・セナのマシンがタンブレロでスライドした原因については、ダウンフォースを失ったためとされている。

エイドリアン・ニューウェイによればFW16は空力的に神経質でコントロールが難しいマシンであり、マシン挙動の不安定さはフロアのダウンフォース(グラウンドエフェクト)によるものであるとサンマリノGP前に判明していた。

具体的にはフロント車高が極端に下がった際、長いサイドポッドの前端部に起因する気流の「失速」を招くとの見解から、短いサイドポッドへのデザイン修正が決まっていた。

サンマリノGPにはマシン開発は間に合わず、開幕当初から使用しているマシンで参戦した。

 

事故があったレースに話を戻すと、レーススタート直後のJ・J・レートとペドロ・ラミーの事故処理でセーフティーカー先導で走行したため、セナのマシンのタイヤは冷えてしまい空気圧が低下し車高が落ちた。

セナのマシンは異様なほど火花を散らしボトミングを起こしていたが、タンブレロのバンプに乗った際にダウンフォースを失いリアがスライドした。

ただ、セーフティーカー終了後に7周も走行したのに適正な空気圧に戻らなかった点には疑問が残っており、タイヤの空気圧が低いままとなったの一つとしてスタート直後のクラッシュのデブリを踏み右リヤがパンクしていたという可能性示唆している。

セナのマシンがスライド後ウォールに直進した原因

タンブレロ通過時のスライド直後に、セナはなぜウォールに直進し衝突を避けられなかったかの原因についてははっきりとしていない。

イタリアでの裁判で一番に疑われたステアリングコラム破損については、事故後にシャフトが破断していたのは事実だが事故原因ではないとの見解をエイドリアン・ニューウェイは示している。

もしステアリングシャフトの破断が原因であれば、残されたオンボード映像にあるようなオーバーステアでリアがスライドすることなく、ウォールに直進していたはずという事だ。

 

ただ、アイルトン・セナが要求したドライビングポジションを実現するためにステアリングのシャフトを切断・溶接改造し、その溶接が非常に良くなかった事を認めている。

 

スライド後にウォールになぜ直進したのか(テレメトリーデータからステアリングトルクがほぼゼロ(正面)の状態になっていた)については2つの可能性をあげている。

スライドの直後にステアリングコラムが破断したためステアリングを左に切っても直進した。

②スライド時にマシンの方向を立て直すためにセナがステアリングを正面に戻したが、急激にグリップが戻ったためウォール側に一気に向かった。

 

こうしてみてみると、事故のきっかけはスライドであるが複合的な原因のものであるという事に感じるが、その一つ一つもデータや映像からの推測となってしまう。

異常なボトミング(タイヤの空気圧低下)はセーフティーカー先導によるものなのか、デブリによるパンクなのか・・・

制御不能になったのはステアリングコラムの破断によるものだったのか・・・

セナが自身が語ることがない限り、セナがステアリング修正を試みたがフロントが制御不能だったのか等、どのような状況だったのかも今となっては分からない。

アイルトン・セナの死因について

アイルトン・セナの死因については検死解剖の結果から、クラッシュ時に飛散した部品(折れて鋭利になったサスペンションアーム)がヘルメットを貫通し脳に大きな損傷を与えた為という事がはっきりとしている。

 

事故現場には直径1メートルほどの血だまりがあったが、それは気管切開手術が行われた跡だった。

現場でセナに気管切開手術を施したのは、セナが心を開き信頼していたの数少ない友人でもあり、世界的にも著名な脳神経外科医シド・ワトキンス医師だった。

セナが頭部に致命的な損傷を負っているのを確認しワトキンス医師はセナが亡くなったと判断していた。

 

ヘリコプターでセナが運ばれたマジョーレ病院(前日に事故死したラッツェンバーガーが搬送された病院)では、救急医長であるマリア・テレーザ・フィアンドリ医師らによって心臓蘇生が成功し生命維持装置につながれていた。

しかし、午後6時にはセナの脳波がフラットになった事が発表され、そして午後6時37分に再び心臓は停止、蘇生させることなく午後6時40分に死亡の発表がされた。

一方で、現地イタリアの法律の下では、セナの死亡時刻は1994年5月1日の午後2時17分として公式に記録されている。

つまり、ワトキンス医師が判断したようにタンブレロでクラッシュした午後2時17分に事故で即死したという記録になる。

さいごに

アイルトン・セナの事故原因についてニューウェイは「ダウンフォースを失いスライド」にあるとし「ステアリングコラム破損」は原因ではないとしている。

そして、この事故について「空力的に不安定なマシンを設計した」という点において罪の意識を今でも感じているとニューウェイは語っている。

 

しかし、どの瞬間、どの時点でどのような故障があったのかという真相ははっきりとしていないため、今でも事故の真実は誰にも分からない。

個人的にはセナがウォールまでブラックマークを残したまま直進し激突死したのはステアリングコラム破損によるものという印象。

ただ、更に元をたどるとセナやレース関係者が危険だと指摘した「タンブレロの補修段差」がそもそもの原因であるとも考えられる。

 

たらればのストーリーを考えても全く意味はない、けれど、時々考えてしまう。

もし、事故前日にシド・ワトキンスから「もうレースなんてやめて、一緒に釣りでもしよう」と言われたセナが本当にあのレースを走らない決断をしていたら・・・

もし、ニューウェイにより空力的不安定を改善するためのマシン修正がサンマリノGPまでに間に合っていたら・・・

もし、タンブレロ激突時の速度や角度が異なっていて、タイヤやパーツの飛散ルートが違っていたら・・・

 

アイルトン・セナらの事故によりF1やモータースポーツ界が、マシンやサーキットに対して急速な安全策が進められた。

また、日本GP(鈴鹿)でのジュール・ビアンキの大事故などによって頭部保護デバイスであるヘイローが採用されるなど、F1は大きく外観を変えながら安全が優先されるようになった。

 

異次元の速さで戦うレースにはアクシデントはつきものだが、怪我や大きな事故のないレースをファンは望んでいる。

セナやラッツェンバーガー、そして過去のレーサー達もそう願いながらレースを天から見守ってくれていると思う。

それではまた☆

↓参考元↓

書籍「エイドリアン・ニューウェイ自伝」

映画「アイルトンセナ 音速の彼方へ」

書籍「天才アイルトン・セナの生涯」

 

アイルトン・セナの死 – Wikipedia

ほか、当時のサンマリノGP中継映像などを参考。

 

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