こんばんはハッピーサトさんです。
1950年からF1ベルギー・グランプリの開催地となっているスパ・フランコルシャン。
長年この地でF1GPが開催され、レーサーからもチャレンジングなサーキットとして人気が高い歴史あるサーキット。
今日はそんな伝統のスパ・フランコルシャンのコースを歩いてみましょう^^

マップ上半分に現在のスパ・フランコルシャン(全長7km 1週約1分40秒台)のサーキットが見えます。
そして、青い点線の部分は1950年から1970年まで使用されていたオールドコース(一般公道)の区間。
オールドコースでは現在のケメル・ストレートのエンドから更に南側の町を経由し、現在のスタヴロ(赤の印部分)へと合流するレイアウトだった。
初代オールドコースは町と町を結ぶ全長約14kmのコースで当時3分半かけて1周するコースでした。
という事で折角なので今回はオールドコースも含めて歩いてみたいと思います。
ベルギーGP スパ・フランコルシャンのオールドコースを歩く
※Googleストリートビューなので画像内で自由にお散歩できます♪
スタートライン
現在のスタートライン。
スタート直後にキツいヘアピン(ラ・ソース)が待ち構えていてブレーキングを誤り追突であったり、行き場を失い接触という場面も・・・。
2012年にはロマン・グロジャン(ロータス・ルノー)が接触・追突しフェルナンド・アロンソ(フェラーリ)のマシンに乗り上げ同時に4台リタイアする多重クラッシュを起こした。
ラ・ソース・ヘアピン
第1回F1ベルギーGPが開催された1950年から1970年までは、このラ・ソースとオー・ルージュの中間地点がスタートラインになっていた。
このラ・ソースを右に曲がらずに北へ車で数分直進するとフランコルシャンの町があり、さらに北西に車で10分の所にスパの町がある。
1998年の雨の決勝オープニングラップには視界不良もあり10台以上がクラッシュする大事故があった。
オー・ルージュ
壁のような急勾配を左右へと駆け上がるオー・ルージュ。
コーナー名のオー・ルージュはこのコーナーの下を横切って流れている小川が由来。
鉄分を多く含み川床が赤錆色になっている事からフランス語で「オー(水)」「ルージュ(赤)」という意味になっている。
1985年にはWEC(耐久レース)でジャッキーイクスと並走していたステファン・ベロフが接触しスピン、外側ガードレールに激突し27歳という若さで亡くなっている。
2人ともF1でも活躍したレーサーだった。
振り返り見下ろす景色も異次元・・・^^;
ラディオン
オールージュを登り切った頂上に位置するブラインドコーナーのラディオン。
2019年のF2レース1では多重クラッシュ(Tボーンクラッシュ)でアントワーヌ・ユベールが22歳という若さで亡くなっている。
その直後のF1決勝では、カート時代からの親友だったピエール・ガスリーは「彼のために優勝してくれ」とシャルル・ルクレールに願いを託し、そしてルクレールは自身初優勝を遂げ親友へその勝利を捧げた。
ケメル・ストレート
ケメル・ストレートと言えば、やはり2000年の伝説のスリーワイドオーバーテイク。
ミカ・ハッキネン(マクラーレン・メルセデス)がミハエル・シューマッハ(フェラーリ)とリカルド・ゾンタ(BAR・ホンダ)をまとめて料理した。
当時めちゃんこ声出して興奮しましたが、こんなスカッとするオーバーテイクはなかなか無いですよね^^!
レ・コーム
レ・コームをオールドコースの一般公道の方へ行ってみました。
1960年代などの映像を見てみましたが、現在と同じような田園風景が広がっていてガードレールもない道をひたすら走り続けます。
昔のレースはガードレールもフェンスもないような道でのレースも多く、1970年頃まではシートベルトの義務もなかった。
スピンやコースアウトをすれば横転したり、ドライバーが投げ出されたり、炎上事故になったり・・・少しのミスが命取りになった時代。
ビュルナンヴィル
大きく右へ回り込むビュルナンヴィル(地名)。
フランコルシャンの町から6km、スパの町から14kmの地点となる。
マルメディ
長いストレートの入り口マルメディ(地名)。
右手にマルメディの看板を発見^^
マスタ
マルメディとマスタの町を結ぶ直線の中間にある左右の高速シケイン。
やっとオールドコースの半分まで来ましたが、のどかです、右手には牛さんがいっぱい^^!
さて、1966年のウェットレース決勝ではジャッキー・スチュワート(BRM)がここで大事故に遭った。
ハイドロプレーニング現象を起こしコントロール不能になってコース外の電柱に激突、転覆し潰れたマシンに閉じ込められ、漏れたガソリンまみれになり30分弱もかけて救出された・・・。
以後スチュワートはF1での安全性の啓蒙活動を続けてきていた。
スタヴロ
この分岐を右へ大きく回り込むスタヴロ(地名)。
ちょうどこの橋の下に川が流れていて、オー・ルージュのコーナーまで続く小川になっている。
現:スタヴロ
ずーっと一般公道区間を走り続けてきましたが、このゲートの先がスパ・フランコルシャンの現在のスタヴロのコーナーとなっている。
ブランシモン
鈴鹿の130Rのようにフルスロットルで駆け抜けていく左コーナーのブランシモン。
1992年には予選中にエリック・コマス(リジェ・ルノー)が大クラッシュ。
コマスが意識を失ったままフルスロットルで空ぶかしをしている事に気付いたアイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)が停車したマシンから飛び出して救助に向かい、セナは空ぶかしフルスロットル状態のリジェのエンジンを切った。
コマスは「あの時セナが駆けつけていなかったらエンジンの発火や燃料への引火爆発の可能性もあった。セナは命の恩人なんだ・・・」と語っていた。
その2年後の1994年、サンマリノでのセナの死亡事故現場に遭遇しコマスは引退を決意、その年限りでF1を去った。
バスストップ・シケイン
やっと最終コーナーのバスストップ・シケインです。
オールドコースではただの直線だったが現代レイアウトになってからはクランク状(左右・右左)のシケインだった。
当時上から見ると本当にバス停のような形状でした^^;
現在のような右左のシケインになったのは2007年からでした。
フィニッシュ
楽しく散歩できましたでしょうか。
色々なことがあったスパ・フランコルシャンでのベルギーGPですが、1991年のミハエル・シューマッハのデビューも鮮烈でした。
当時私まだ9歳(小学校三年生)でしたが「F1に来たばかりなのに何でこんな速いんだこの人」と感じたのははっきり覚えてます^^;
ベルトラン・ガショーの代役でぶっつけ本番状態なのに、いきなり予選6位ってやっぱりただ事ではないですよね・・・
F1サト散歩いかがでしたでしょうか^^
それではまたどこかのサーキットで!