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アイルトン・セナの命日とタンブレロ・コーナーの銅像

GP日記
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こんにちはハッピーサトさんです。

ウィリアムズFW16を駆るアイルトン・セナ(34歳)が、イモラ・サーキットのタンブレロ・コーナーで激突事故を起こしてから25年以上もたった。

1994年サンマリノGPのあの瞬間から、どれだけ時間が経過しようと今でも命日である5月1日には、世界中の人々がセナへの想い、レースの安全への想いを強く蘇らせる。

 

当時、サンマリノGPの決勝レースはセナの事故後にも続行され、現地時間の午後6時40分にセナの死亡が発表された。

しかし、現地イタリアの法律の下では、セナの死亡時刻は1994年5月1日の午後2時17分として公式に記録されている。

現場に駆け付けたシド・ワトキンス医師が感じていたように、あのタンブレロ・コーナーでクラッシュした瞬間にもうすでにセナはこの世界で生きる道を失っていたのだった。

今日は、そのタンブレロにあるセナの銅像をWEB上で訪れてみたいと思います。

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現在のタンブレロとアイルトン・セナの銅像

2006年を最後に長らくイモラ・サーキットではF1が開催されることはなかったが、2020年に再びF1が開催。

イモラでのF1レース復活は、セナとの接点をより近いものへと復活させてくれたようにも感じた。

セナが命を散らせたタンブレロは改修され姿を変えたが、コーナー内側にはセナの銅像が設置されていて今でもメッセージや花を手向ける人々が後を絶たない。

複合コーナーとなっている現在のタンブレロ・コーナー

コントロールを失ったセナはこの右側のウォールへ直進、減速したがおおよそ時速211キロで激突死してしまった。

この事故を受けて1994年までフルスロットルの超高速左コーナーだったタンブレロは左・右・左のシケイン状コーナーに生まれ変わっている。

そして、当時コース外側は舗装路面だったが現在はグラベルが敷き詰められている。

 

過去、タンブレロではネルソン・ピケ(1987年)、ゲルハルト・ベルガー(1989年)、リカルド・パトレーゼ(1992年)らも大事故に遭っていた。

クラッシュでピケとパトレーゼはいずれも負傷。

ベルガーの件に至っては激突でコックピットのモノコックが裂け大炎上し火傷を負う大事故だった。

引用:documentingreality.com

タンブレロ外側のエスケープゾーンは非常に狭く「何か」あった際はコンクリートウォールへすぐさま激突するという危険性が指摘されていた。

しかし、コース外側にはタンブレロに沿うような形でサンテルノ川が流れていて、外側のランオフエリアの拡張工事は困難であるとしてそのままの状態となっていた。

セナが亡くなったことでコーナー外側ではなく内側にレイアウト変更を加え対策が採られた。

タンブレロ出口にあるアイルトン・セナの銅像

タンブレロの出口の内側にアイルトン・セナの銅像がたっている。

今でも花束やブラジル国旗、セナグッズと共にメッセージなどがお供えされている。

後ろ姿のセナの先のフェンスの向こう側が、アイルトン・セナが激突事故後にシド・ワトキンス医師らによってマシンから慎重に引き出され応急処置を受け現場になっている。

ラッツェンバーガーとヴィルヌーブのモニュメント

セナが亡くなる前日4月30日、タンブレロの次のコーナーであるヴィルヌーブ・カーブでの激突事故で亡くなったローランド・ラッツェンバーガー。

セナが亡くなったタンブレロと同様に、このヴィルヌーブ・カーブも左・右のシケイン状のコーナーに変更された。

事故現場先のトサ・コーナーの観客席にラッツェンバーガーの追悼パネルがあった。

そのヴィルヌーブ・コーナーの外側には1982年にベルギーGP(ゾルダー)で事故死したジル・ヴィルヌーブのモニュメントもあった。

さいごに

アイルトン・セナは、故郷であるブラジルのサンパウロにあるモルンビー墓地に眠っている。

芝が広がる墓地の中央にたつ1本の木の下にセナの墓標がある。

昨年2020年、セナの命日である5月1日には大手旅行会社がZOOMを活用しアイルトン・セナのオンライン墓参りツアーを開催していた。

ツアー代金の一部はアイルトン・セナ財団を通じて、ブラジルの恵まれない子供たちのために役立てられたそうです。

 

イモラやサンパウロの現地に行くことはなかなか難しいですが、イモラでのレースやこのような追悼イベントを通じてアイルトン・セナ、そしてローランド・ラッツェンバーガーらへの想いを絶やしたくないですね。

それではまた☆

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