北炭夕張新炭鉱(清水沢・真谷地)の石炭産業遺跡めぐり

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こんにちはハッピーサトさんです。

今回は夕張の清水沢にある北炭夕張新炭鉱真谷地炭鉱楓炭鉱の炭鉱遺跡を巡ったときの写真を紹介していきます。

写真は2007年4月・7月に訪問し撮影したものです。

2022年現在は、建物が取り壊されていたり崩壊していたりと、町の様子もかなり変わってしまっています。

2007年当時はこんな感じだったんだなぁと見て頂けたら幸いです。

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北炭夕張新炭鉱

清水沢地区で1970年に開坑した北炭夕張新炭鉱1981年のガス突出事故で93名が亡くなった翌年1982年に閉山となり坑口跡は密閉された。通洞の向こう側にある立坑櫓も解体されて見る事は出来ない。

通洞口

北炭夕張新炭鉱 清水沢の通洞口

通洞口の入口手前。赤い星の入った北炭の社章とともに「我が新鉱をがっちり守ろう 出稼と保安と生産で」というスローガンが記された柱が残っていた。

北炭夕張新炭鉱 清水沢の通洞口

この格子で閉ざされた入口は北炭夕張新炭鉱の通洞口で、ここから人車に乗りこみ通洞を進み1100メートル先に立坑があった。通洞の反対側も同じように格子で封鎖されている。

ちなみに閉山に至るきっかけになったガス突出事故は、800メートル地下の坑道深部でメタンガスの突出が発生しその後に坑内火災や爆発を引き起こしたというもの。

坑内火災を収めるために坑内への通気を止めて仮密閉処理を行ったが、その後、坑内に59名の安否不明者を残したまま鎮火のために注水が決行された・・・。

事故直後に救護隊に発見された遺体の死因の多くは突出したメタンガスや炭塵による酸欠とされた。救出され生き残った坑員も、メタンガスを大量に吸い込んだことによる脳機能障害などの後遺症が残った。

この通洞が他の坑口のようにコンクリや鉄板で密閉されていないのは、この悲しい事故のあった現場に空気を通してあげたいという遺族の要望からだという。

この通洞の右手には夕張新炭鉱慰霊碑がひっそりと残っている。

北炭夕張新炭鉱ガス突出事故 – Wikipedia

清水沢ダムと北炭清水沢発電所

先程の北炭夕張新炭鉱(通洞口)から車で10分ほどの場所にある清水沢ダム

夕張の清水沢ダム

北炭が1938年に建造したダムで堤高は25.4メートル。

夕張の清水沢ダム

天端の欄干は錆びていてしかも背が低く、ダム下流を覗き込むときは転落しそうでちょっと怖かった。

水門ゲートの赤い鉄骨も雰囲気がある。

夕張の清水沢火力発電所

清水沢ダムから見た下流側にある、北炭が北炭用の自家発電施設として1926年に完成させた清水沢火力発電所。

1987年に北炭真谷地炭鉱が閉山となった後、この清水沢発電所も1991年に発電を止めた。1998年から解体作業に入っているが、2007年の時点では巨大煙突も建物などもまだ残っていた。

番外編 滝之上水力発電所

滝之上水力発電所

清水沢からは離れてしまいますが、夕張川沿いに北炭が1924年に建設した滝ノ上水力発電所。他の夕張炭鉱の坑口や施設と同じように赤茶色のレンガ造りが美しい。ちょっと見にくいですが現在でも建物正面の大きな窓の上部に北炭の社章の星マークが見える。

先程紹介した夕張川上流の清水沢火力発電所と共に北炭夕張エリアに電力を供給していた。北炭の炭鉱が全て閉山した後の1994年に北海道企業局に譲渡されている。

ちなみに、この建物の上流にある滝の上ダムから取水し水車をまわし発電していて、現在でも雪解け時期の4月~5月だけ現役で発電している。

北炭真谷地炭鉱

1905年に開坑した真谷地炭鉱、年間約70万トンを産出していた。北炭で最後まで残っていた炭鉱だったが1987年に閉山した。

夕張の真谷地地区

真谷地炭鉱へむかう途中には住宅が並ぶが閑散としている。

資材倉庫跡

北炭真谷地炭鉱事務所

この建物は総合事務所が出来る前まで使用されていた事務所。後に資材倉庫として使用されていた様子。

※2022年現在は既に建物が解体され残っていません。

ホッパー跡

北炭真谷地炭鉱ホッパー

2列のトンネルを貨車が通り石炭を積み込んだホッパー跡。北炭の星マークの入った上屋部分は残っていないが下部は辛うじて残っていた。

※2022年現在は左側・右奥側のホッパーともに既に解体され残っていない

総合事務所跡

北炭真谷地炭鉱事務所

1962年に完成した繰込所、事務所、安全灯室、浴場などをまとめた北炭真谷地炭鉱の総合事務所。地下が浴場になっていた。

※2022年現在は既に総合事務所は解体され残っていません。

北炭真谷地炭鉱 立坑

総合事務所の裏側に密閉された立坑跡があり、錆びたガス抜き管が1本さみしく空に向かって立っていた。

北炭真谷地炭鉱 立坑

別の場所にあった立坑跡。

北炭楓炭鉱

楓駅

国鉄・夕張線登川支線の楓駅(3代目)があった場所に来ました。楓炭鉱にあった坑口などの石炭産業遺跡は探せず・・・。

1967年に初代楓駅が廃止となり、別の場所に設けた2代目楓駅も1981年に廃止。3代目楓駅の駅舎は写真中央の駐車場奥側に建っていたが取り壊されて残っていない。

奥には防雪用のトンネル(スノーシェルター)が見える。

北炭楓鉱発電所

北炭楓鉱発電所

北炭が1913年に完成させたレンガ造りの北炭楓鉱発電所。完成から15年後の1928年に発電所としての役目を終え、その後は楓炭鉱の繰込所や安全灯室や事務所として使用されていた。

閉山後は外観が一部回収され石炭ガラス工芸館として1991年から1994年まで使用されたが、閉鎖されてしまった。

建物の奥にはJR北海道・石勝線のメロン色のスノーシェルターが見える。

それではまた☆

~~参考文献~~

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