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北海道の炭鉱遺跡めぐり(夕張・三笠・赤平・美唄・苫前・釧路)

その他
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こんにちはハッピーサトさんです。

昔はダムや炭鉱遺跡巡りをよく行っていたのですが、最近アルバムを見ていたら懐かしくなり整理してみました。

という事で今回は北海道にある炭鉱の石炭産業遺跡(立坑櫓、坑口ホッパー、巨大煙突など)を巡ったときの写真を紹介していきます。

写真は2007年と2014年に訪問し撮影したものです。

現在は崩壊していたり、取り壊されて現存しない遺跡もあったりしますので、当時はこんな感じだったんだなぁと見て頂けたら幸いです。

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夕張市 北炭夕張炭鉱

北炭夕張炭鉱は1890年に開鉱し年間200万トンほどの石炭を産出。北海道を代表する主力炭鉱だったが1977年に閉山となった。

立坑櫓

夕張市 北炭夕張炭鉱

石炭の歴史村にある高さ27.5メートルの赤い立坑櫓。この場所(夕張炭鉱・二鉱)で実際に稼働していたものではなく、石炭博物館が開館した1980年当時に最新鋭炭鉱だった清水沢地区の北炭夕張新炭鉱の立坑櫓をモデルに作られたシンボルタワー。

坑口

天龍坑坑口(資材用)

夕張市 北炭夕張炭鉱

赤茶色のレンガ造りが鳥居のように美しい天龍坑坑口。扁額に「坑龍天」と彫られているが、河川名の天竜川が由来。1900年に開坑し1938年まで石炭採掘が行われた。コンクリではなくレンガで密閉されている。

天龍坑坑口(人車用)

夕張市 北炭夕張炭鉱

先程の天龍坑すぐ右隣にある人車用の斜坑坑口。ガス抜きの管が密閉のためのレンガ壁中央から繋がっている。

史跡夕張鉱坑口

夕張市 北炭夕張炭鉱

石炭博物館から地下に入り実際の坑道を約200メートル見学できる史跡夕張鉱(模擬坑道)出口。鉱員の訓練・育成のために実際に使われ、石炭博物館がオープンした1980年頃から一般開放された。

夕張市 北炭夕張炭鉱

レンガ壁やトンネルを支えるアーチ鉄骨や木材が見える。坑内湧水で水没することを避けるため年間800万円もの電気代をかけポンプで排水を行っていた。

※2019年に坑内火災が発生し鎮火作業のために水没。2023年度の再開を目指しているとの事。

石狩坑坑口

夕張市 北炭夕張炭鉱

密閉された石狩坑の坑口。河川名の石狩川に由来。石炭の歴史村の遊園地(アドベンチャーファミリー)跡のゴーカート・コース脇などに石狩坑坑口があちこちにある。

夕張市 北炭夕張炭鉱

北上坑坑口

夕張市 北炭夕張炭鉱

レンガ作りのポータルが美しい北上坑坑口。河川名の北上川(東北)が坑口名の由来。1920年にガス爆発事故が発生し212名が亡くなっている。南側にある末広墓地には「北上坑遭難者之碑」が建っている。

千歳坑坑口

夕張市 北炭夕張炭鉱

1890年に夕張で一番最初に開坑した一番坑の坑口。1918年に千歳川を由来とする千歳坑へと改称された。

丁末坑坑口

夕張市 北炭夕張炭鉱

コンクリートで密閉されている丁末(ていび)坑の坑口。ガス抜き管の足元にややオレンジがかった湧水が貯まっていた。「一鉱遭難者之碑 六十二名死去」と記された簡易的な木材の碑があった。

巨大煙突

北炭化成工業所コークス炉煙突

北炭化成工業所コークス炉煙突

1958年に完成した北炭化成工業所の高さ63.3メートルのコークス炉の巨大煙突。ここにあった施設では石炭を1100度以上の炉で乾留(蒸し焼き)しコークスを作っていた。

北炭夕張炭鉱総合ボイラー煙突

北炭夕張炭鉱総合ボイラー煙突

北炭夕張炭鉱の総合ボイラー煙突。1953年?に建てられた煙突で、ここには石炭選炭場があった。

その他

北炭夕張炭鉱・高松ズリ捨て線

北炭夕張炭鉱・高松ズリ捨て線

1949年頃から徐々に完成し夕張炭鉱が閉山となる1977年まで稼働していた約800メートルのズリ捨て線。ズリをベルトコンベアやトロッコのようなもので運搬した。コンクリート橋脚とトンネルが残っている。

北炭鹿ノ谷俱楽部(夕張鹿鳴館)

北炭鹿ノ谷俱楽部(夕張鹿鳴館)

北炭が1913年に建築した鹿ノ谷俱楽部。北炭幹部の社交、賓客の接待などのために作られ、1954年には昭和天皇が宿泊された。

北炭北海道支店石炭分析所

北炭北海道支店石炭分析所

北炭が1918年に建築した石炭分析所。ここでは運ばれてきた石炭の品質検査や坑内ガスの検査を行い分析作業が行われていた。

日本基督教会夕張教会堂(アカシアの教会)

日本基督教会夕張教会堂(アカシアの教会)

鹿ノ谷にある1926年に北炭によって建設された木造の夕張教会堂。白枠の窓と赤い三角屋根が可愛らしい感じで印象的。

夕張市 北炭夕張新炭鉱

夕張清水沢地区で1970年に開坑した北炭夕張新炭鉱1981年のガス突出事故で93名が亡くなった翌年1982年に閉山となり坑口跡は密閉された。

通洞口

北炭夕張新炭鉱 通洞口

格子状に閉ざされた北炭夕張新炭鉱の通洞口。ここから人車に乗りこみ通洞を進み1100メートル先に立坑があった。1981年にガス突出事故があり坑内火災や爆発を引き起こした坑内に59名の安否不明者を残したまま鎮火のため注水が行われた。

発電所

清水沢ダム

清水沢ダム

北炭が1938年に建造した水力発電のダムで堤高は25.4メートル。

北炭清水沢発電所

北炭清水沢発電所

清水沢ダムの下流にある、北炭の自家発電施設として1926年に完成させた清水沢火力発電所。1987年に北炭真谷地炭鉱が閉山となった後、この清水沢発電所も1991年に発電を止めた。

夕張市 北炭真谷地炭鉱

1905年に開坑した真谷地炭鉱、年間約70万トンを産出していた。北炭で最後まで残っていた炭鉱だったが1987年に閉山。

立坑櫓

北炭真谷地炭鉱

総合事務所の裏側の密閉された立坑跡。錆びたガス抜き管が1本さみしく空に向かって立っていた。

北炭真谷地炭鉱

別の場所にあった立坑跡。

ホッパー

北炭真谷地炭鉱ホッパー

2列のトンネルを貨車が通り石炭を積み込んだホッパー跡。北炭の星マークの入った上屋部分は残っていないが下部は辛うじて残っていた。

※2022年現在は左側・右奥側のホッパーともに既に解体され残っていない

事務所

事務所(資材倉庫)

北炭真谷地炭鉱事務所

この建物は総合事務所が出来る前まで使用されていた事務所。後に資材倉庫として使用されていた様子。

※2022年現在は既に建物が解体され残っていません。

総合事務所

北炭真谷地炭鉱総合事務所

1962年に完成した繰込所、事務所、安全灯室、浴場などをまとめた北炭真谷地炭鉱の総合事務所。地下が浴場になっていた。

※2022年現在は既に総合事務所は解体され残っていません。

発電所

北炭楓鉱発電所

北炭楓鉱発電所

北炭が1913年に完成させたレンガ造りの北炭楓鉱発電所。1928年には発電所としての役目を終え、その後は楓炭鉱の繰込所、安全灯室、事務所として使用された。閉山後の一時期は石炭ガラス工芸館として使用された。

滝之上水力発電所

滝之上水力発電所

北炭が1924年に建設した滝ノ上水力発電所。清水沢火力発電所と共に北炭夕張エリアに電力を供給していた。北炭の炭鉱が全て閉山した後の1994年に北海道企業局に譲渡されたが、現在でも雪解け時期は現役で発電している。

夕張市 三菱南大夕張炭鉱

三菱南大夕張炭鉱は1966年に開鉱。1990年に閉山となった。

鉄道

三菱大夕張鉄道 南大夕張駅

三菱大夕張鉄道 南大夕張駅

三菱大夕張炭鉱の専用鉄道だった南大夕張駅。1987年に廃線となり南大夕張駅は廃止され駅舎も解体され残っていない。駅舎は現存しないが当時のラッセル式雪かき車、客車、石炭貨車が保存されている。

三弦橋(大夕張森林鉄道 夕張岳線第1号橋梁)

三弦橋(大夕張森林鉄道 夕張岳線第1号橋梁)

1958年に完成したシューパロ湖の両岸をつなぐ全長381メートル、湖底から高さ68メートルある鉄道橋脚。三弦橋と呼ぶが正式名称は大夕張森林鉄道夕張岳線第1号橋梁。 線路部分二弦、上側一弦の三弦トラス構造で断面から見ると三角形になっている。

※2014年に夕張シューパロダムの試験湛水により、三弦橋は水没し見ることが出来なくなった。

三菱大夕張鉄道 旭沢橋梁

三菱大夕張鉄道 旭沢橋梁

三菱大夕張鉄道線の明石町駅~千年町駅の間にあった全長72メートルの旭沢橋梁(1929年完成)。

※2014年3月の夕張シューパロダムの試験湛水により水没。渇水期には姿を現してくれる。

三笠市 住友奔別炭鉱

住友奔別(ぽんべつ)炭鉱は1900年に開鉱(当初は奈良炭鉱だった)年間150万トンほどの石炭を産出した。1971年に閉山

立坑櫓

住友奔別炭鉱

1960年に建設された高さ50.5メートル、深さ735.4メートルの立坑櫓。坑口閉鎖中の爆発事故の爆風でトタン壁が吹き飛び鉄骨が丸見えのままになっている。巻き上げ機は人・資材用と石炭用で2基ずつあり、4段ケージ(16人×4段)を採用し昇降スピードは時速43キロ。

ホッパー・選炭施設

住友奔別炭鉱ホッパー選炭施設

1960年に完成した選炭施設は長さ130メートル、幅25メートル、高さ30メートル。貨車積みラインが3本あり、ここから港のある小樽や室蘭へと石炭列車が往来した。

赤平市 住友赤平炭鉱

住友赤平炭鉱は1895年に開鉱し年間190万トンほどの石炭を産出。1993年に閉山している。

立坑櫓

住友赤平炭鉱

1963年に完成した赤平炭鉱の立坑櫓は高さ43.8メートル、深さ650メートル。鉱員72名を昇降させることが出来る4段ケージを採用、ケージの昇降スピードは時速43キロ(12メートル/秒)。現役で稼働していた頃は住友赤平立坑の文字が赤色ネオンで輝いていた

赤平市 北炭赤間炭鉱

北炭赤間炭鉱は1938年に開鉱、1973年に閉山となった。

ホッパー

北炭赤間炭鉱

北炭が1938年に開鉱した赤間炭鉱の選炭施設・ホッパー跡。後ろは777段の階段で登ることが出来るズリ山がある。

芦別市 三井芦別炭鉱

1939年に開鉱し年間170万トンほどを産出し、1992年に閉山となった。

鉄道

三井芦別鉄道・炭山川鉄橋

三井芦別鉄道・炭山川鉄橋

廃線となった鉄橋上にディーゼル機関車と炭車が保存展示されている三井芦別鉄道・炭山川鉄橋。芦別炭鉱が石炭を産出していた頃は、この鉄橋をSLやディーゼル機関車が40両ほどの石炭貨車を引いて走っていた。

苫前郡 築別炭鉱

築別炭鉱は1939年に、羽幌炭鉱は1948年に開鉱し、全盛期には年間で約100万トンの石炭を産出したが1970年に閉山した。

ホッパー

築別炭鉱ホッパー

貨車積みライン2本の築別炭鉱のホッパー。看板に羽幌鉱業所と記された文字がうっすらと見える。

巨大煙突

築別炭鉱 巨大煙突

火力発電所跡に残された巨大煙突。

アパート

築別炭鉱 廃アパート群

1969年に完成した4階建てのアパート群。閉山まではたった1年という短い期間となったが炭鉱員が住んでいた。閉山から50年以上眠り続けたままボロボロの廃墟となっている。

※2022年現在はこの場所へ渡る橋が封鎖され行くことが出来ない。

病院

築別炭鉱 病院

2階建ての赤い三角屋根の羽幌炭鉱鉄道病院。1944年に医療センターとして整備され内科、外科、婦人科があり入院患者用のベッドは50床あった。

※2022年現在は建物は取り壊され残っていない。

消防署

築別炭鉱 消防署

3階建てだった消防署跡。1階の鉄筋モルタル造りの部分のみが辛うじて残っているが、当時は消防車が3台収容されていた。

苫前郡 羽幌炭鉱

ホッパー

羽幌炭鉱ホッパーと立坑

貨車積みライン2列の羽幌炭鉱のホッパー。奥には1965年に完成した高さ39メートルのワインディングタワー型立坑櫓が見える。

美唄市 三菱美唄炭鉱

1913年に開発が進められていた炭鉱を1915年に三菱が買収して三菱美唄炭鉱となった。年間160万トンほどの石炭を産出したが、1972年に閉山。

立坑櫓

三菱美唄炭鉱 立坑櫓

1923年に建設された高さ20メートル、深さ175メートルの立坑櫓。鮮やかな朱色は閉山後に改めて塗装されたもの。

原炭ポケット

三菱美唄炭鉱 原炭ポケット

1925年に建設された格子状のコンクリート造りの巨大な原炭ポケット。選炭工場を経てホッパーから貨車に石炭が積み込まれた。

美唄市 三井美唄炭鉱

1918年に開鉱し、年間で100万トンほどの石炭を産出。1963年に閉山となった。

原炭ポケット

三井美唄炭鉱 原炭ポケット

三井美唄炭鉱選炭場跡で、漏斗型の原炭ポケットとすぐその隣に選炭場の土台が残っている。

釧路市 雄別炭鉱

1896年ごろから石炭採掘がはじまり後に三菱財閥系の炭鉱として石炭を産出していたが1970年に閉山となった。現在はゴーストタウンとなっており住宅などは残っていない。

巨大煙突

雄別炭鉱 巨大煙突

1957年に完成した高さ50.8メートルの総合ボイラー煙突。

その他

トロッコ土台

雄別炭鉱 トロッコ土台

自然と一体化したかのようなトロッコ土台。

雄別炭鉱購買部

雄別炭鉱購買部

昼間なのに真っ暗な大きな口を開け待っているかのような購買建物の入口。

さいごに

今回は2007年と2014年に炭鉱遺跡を巡ったときの写真紹介でした。

一回の訪問では目的の炭鉱遺跡を回り切れなかったり、場所が分からなかったり、そもそも遺跡の存在を把握していなかったり。

なので、見ることが出来なかった場所を訪れたい気持ちと、年月が経ち今はどんな姿になっているのか、それを確かめに再び訪問したいという気持ちが残っています。

北海道へ帰省出来るときが来て、時間があればチャレンジしてみたいです^^!

それではまた☆

~~参考文献~~

ふるさと羽幌炭砿 | 羽幌カラー現像所 (haborocolor.com)

炭鉄港 デジタル資料館 (3city.net)

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