~広告~

F1グランプリ「タイヤ無交換作戦」がカギとなったレース

調べてみた
この記事は約33分で読めます。

こんにちはハッピーサトさんです。

先日行われたオーストラリアGPでは、晴天の決勝レースでウィリアムズ・メルセデスに乗るアレクサンダー・アルボンが最後尾スタートから57周をハードタイヤで走り切り、10位を獲得するという奇跡的な入賞が話題になりました。

現在のレギュレーションでは、晴天レースでは必ずタイヤ交換を行い2種類のタイヤを使う事と決まっているので最終ラップ58週目にタイヤ交換を行いましたが、ハードタイヤで57週も見事に走り切っちゃいました。 

レギュレーションによりアルボンはほぼタイヤ無交換作戦となりましたが、過去にもやはりタイヤ無交換作戦で運命が別れたレースがありました。

タイヤ交換に関するレギュレーションは2005年に限っては予選・レースともに原則タイヤ交換禁止で、2007年以降はドライコンディションでのレース中のタイヤ交換がレギュレーションにより義務付けられています。

それではタイヤ無交換作戦がカギとなった、いくつかのレースをピックアップしてみました。

~広告~

タイヤ無交換作戦がカギとなったレース

2021年トルコGP(決勝雨天)

エステバン・オコン(アルピーヌ・ルノー)が12番手スタートからインターミディエイトタイヤを無交換で走り切り10位入賞

雨天レースでのタイヤ無交換での入賞は1997年モナコGPミカ・サロ(ティレル)以来の記録となった。

ちなみにオコン同様にルイス・ハミルトン(メルセデス)とシャルル・ルクレール(フェラーリ)も無交換を狙っていましたが、最終的にはハミルトンもルクレールもタイヤ交換を行いレースへと戻りました。

レース後のオコンのタイヤはズル剥け状態で「あと1周走っていたらパンクしていた」と語っており、入賞を狙った一か八かのギャンブル作戦状態となっていました。

その時のオコンのタイヤはこんな状態で、ウェットタイヤの溝が無くなっているだけでなく、タイヤの中の層が見えてる状態でした・・・

1997年モナコGP(決勝雨天)

ミカ・サロ(ティレル・フォード)が14番手スタートからタイヤ無交換で完走し貴重な5位入賞。この年ティレルはこのモナコGPでの入賞1回のみという非常に厳しいシーズンだった。

またこの翌年1998年ティレルはノーポイントという失望のシーズンとなったうえBARに売却されチーム消滅、この1997年のモナコGPでタイヤ無交換で得たポイントが結果的にチーム最後の入賞となってしまった。

※1997年のモナコGPは大雨のレースで、78週ではなく67週で終了(2時間ルール適用)。

1993年スペインGP(決勝晴天)

アラン・プロスト(ウィリアムズ・ルノー)がポールポジションからスタート、チームメイトのデイモン・ヒルに追走されながらもタイヤ無交換で逃げ切り圧倒的な差をつけ優勝

2位アイルトン・セナ(マクラーレン・フォード)に対して16秒差を付けていた。3位はファステストラップを出しながら猛追していたミハエル・シューマッハ(ベネトン・フォード)だった。

※2021年トルコGPのエステバン・オコン(アルピーヌ・ルノー)のタイヤ無交換入賞が記録となるまでは、この1993年スペインGPのプロストの入賞が2時間ルール適用のないレースでのタイヤ無交換入賞の最後の記録となっていた。

1990年オーストラリアGP(決勝晴天)

ネルソン・ピケ(ベネトン・フォード)が7番手スタートからタイヤ無交換作戦で完走し優勝

楽勝かと思われた残り5周あたり、ガス欠注意の無線が入ってもガンガン全開で走るナイジェル・マンセル(フェラーリ)がピケの真後ろまで迫ってきて、最終ラップのブラバムストレート・エンドのヘアピンでマンセルにインを突かれたが巧みに守り切って優勝した。

ピケがトップでチェッカーを受けたとき、ベネトンに在籍していたメカニックの津川哲夫さんがピットで大喜びしている姿が映っていました。このレースが津川さんのF1ラスト舞台となり、その後はF1中継のピットレポーター・解説者としても活躍されました。

さらに、この年のオーストラリアGPはF1世界選手権500戦目という記念グランプリでした。

1990年フランスGP(決勝晴天)

イヴァン・カペリ(レイトンハウス・ジャッド)が7番手スタートからタイヤ無交換作戦で奇跡のトップ快走。しかし、残り3周で地元アラン・プロスト(フェラーリ)に抜かれ2位フィニッシュとなった。

カペリは1位プロストから8秒遅れのフィニッシュ、カペリの3秒後ろ3位となったのはアイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)だった。

この第7戦フランスGPで表彰台を獲得したレイトンハウス、開幕戦から第6戦目までは予選不通過で決勝を走れないくらいのマシン(空力的に神経質)だったが、空力の天才エイドリアン・ニューウェイが投入した改良新スペック(Bスペック)がフラット路面のポール・リカールと抜群の相性をみせた結果だった。

1987年イギリスGP(決勝晴天)

ネルソン・ピケ(ウィリアムズ・ホンダ)がポールポジションからスタートしタイヤ無交換で1位リードしたが、30秒あったギャップを猛烈に詰めてきた地元ナイジェル・マンセル(ウィリアムズ・ホンダ)に残り3周で逆転された。

このレースではウィリアムズとロータスでホンダエンジン1-4独占となった(1位マンセル、2位ピケ、3位セナ、4位 中嶋悟)。

 

ちなみに、予選12番手スタートだった中嶋悟さんは、自信のある得意コースを燃費を気にせず全開で走るという事でターボ加給圧も目一杯(フルブースト)使い次々とライバルを抜き去り4位へ。

しかし、燃料が足りない危険性があるとの事でペースダウンするも最悪の場合ガス欠リタイアの可能性もあった。ただ、猛烈なペースで走るマンセル・ピケに2周遅れにされたおかげでギリギリ燃料が残ることになり4位でフィニッシュできた。

ちなみに猛烈な追い上げで優勝したマンセルもガス欠寸前で、ゴール直後のウィニングラン中にマシンがコース上にストップ、駆け寄った地元ファンの群衆に囲まれていた。

1986年オーストラリアGP(決勝晴天)

ナイジェル・マンセル(ウィリアムズ・ホンダ)がポールポジションからスタートしタイヤ無交換作戦を採った終盤バーストしリタイア

マンセルはチャンピオンを逃し、タイヤ交換を行っていたアラン・プロスト(マクラーレン・TAGポルシェ)が逆転勝利し年間王者(2年連続)になった。

ちなみに2位はネルソン・ピケ(ウィリアムズ・ホンダ)、3位はステファン・ヨハンソン(フェラーリ)だった。

1986年メキシコGP(決勝晴天)

ゲルハルト・ベルガー(ベネトン・BMW)が予選4番手からタイヤ無交換作戦で初優勝(ベネトンも初勝利)

F1デビュー3年目だったベルガーはこの年が飛躍の年となり、第3戦サンマリノGPで3位の初表彰台を獲得、第5戦ベルギーGPでは初のフロントロー獲得(予選2位)、そして第15戦メキシコGPの初優勝だった。

 

基本的にはタイヤ無交換作戦は中堅・下位チームが入賞ポイントを狙って行うギャンブル的な要素が大きくなります。

ただ、1980年代後半では優勝・タイトル争いをしているトップチームがタイヤ無交換でチャンピオンを獲りに行くという印象的な最終戦レースもありました。

個人的には、大好きだったナイジェル・マンセルがタイトルを逃した1986年オーストラリアGPでのタイヤ無交換作戦が印象的でした。

大事故とならずに済んで本当に良かったのですが、最高速での派手なタイヤバーストは見た目にも衝撃的でした。

立派なヒゲの姿の暴れん坊ナイジェル・マンセルは小学校の頃から大好きでした。

 

私の中ではヒゲが印象的な4大有名人は①ナイジェル・マンセル、②デイル・アーンハート、③ハルク・ホーガン、④スキャットマン・ジョンでした。

さいごに

という事で、現在は晴れのレースではタイヤ無交換作戦による大逆転・下剋上のようなレース展開を見る事は出来ません。

ただ、雨のレースでは完全なタイヤ無交換作戦での逆転劇を見ることが出来る可能性があるので、その時をちょっと楽しみに待ってみたいと思います。

それではまた^^!

タイトルとURLをコピーしました