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F1エミリアロ・マーニャ(サンマリノ)GPのイモラ・サーキットを歩く

コース散歩
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こんにちはハッピーサトさんです。

今回はエミリア・ロマーニャGPが開催されるイモラ・サーキットのコースお散歩をしてみたいと思います。

イモラでは1980年からF1グランプリが開催されていますが、1980年はイタリアGPとして、そして1981年以降はサンマリノGPとして開催されていました。

2006年のサンマリノGPを最後にF1開催は止まっていましたが、コロナウィルス感染拡大の影響から開催地が急遽見直されるなどして、2020年からF1カレンダーにエミリア・ロマーニャGPとして復活しています。

ちなみにサーキットはサンマリノ共和国にあるわけではなくイタリアのイモラにあるが1国1GP開催ルールの為イタリア・モンツァでの開催がある場合はイタリアGPと名乗れない為、隣国のサンマリノ共和国の名を冠したGPとなっていた。

現在はエミリア・ロマーニャというイタリアの州名を冠したGPとなっている。

 

コースレイアウトは1990年前後のサンマリノGPの頃とは若干変わっていますが、ほぼ昔のままの景色を残してくれています。

また、1990年代にF1を観ていた方にとってはアイルトン・セナとローランド・ラッツェンバーガーが亡くなったサーキットという印象が今でも強く残っている場所だと思います。

サーキットには、F1に命を散らせたセナ、ラッツェンバーガー、ヴィルヌーブを偲ぶモニュメントも設置されていて、いまでも献花に訪れる方も多いようです。

それでは早速イモラ・サーキットを歩いてみましょう^^!

イモラ・サーキット – Wikipedia

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エミリアロ・マーニャ(サンマリノ)GPの舞台イモラ・サーキットを歩く

※Googleストリートビューなので画像内で自由にお散歩できます♪

スタート地点

このスタートライン直後のわずかな右カーブがターン1になっていて、2006年(改修前)までは現在のターン1よりももう少し先がスタートラインになっていた。

初開催となった1980年のイタリアGPの予選ポール・ポジションを獲得したのはルネ・アルヌー(ルノー)。この年、アルヌーはブラジルGPと南アフリカGPで優勝、オランダGPでは2位表彰台を獲得しており、ドライバーズランキングは6位だった。

ターン2・3・4(タンブレロ)

改修されて左・右・左の連続コーナーとなった現在のタンブレロ・コーナー。

かつてはフルスロットルで通過する緩やかな超高速左コーナーだったが、1994年の決勝レースでアイルトン・セナ(ウィリアムズ・ルノー)がバンプに乗った後にコントロールを失いコンクリートウォールに激突して亡くなってしまった。

タンブレロは名物コーナーだったが、過去にはネルソン・ピケ(1987年)、ゲルハルト・ベルガー(1989年)、リカルド・パトレーゼ(1992年)らもここで大事故に遭っていた。

事故によりピケもパトレーゼも負傷したが、ベルガーの事故は激突時の衝撃でコックピットのモノコックが裂けるほどの大事故となったうえ大炎上し火傷を負って次戦欠場となった。

タンブレロ出口の内側にはアイルトン・セナの銅像が設置されている。

ターン5・6(ヴィルヌーブ)

現在は左・右と連続するターン5&6となったヴィルヌーブ・コーナー。

ここもかつてはフルスロットルで通過する緩やかな右コーナーだったが、1994年の土曜日の予選でローランド・ラッツェンバーガー(シムテック・フォード)がウィング破損の影響で時速310km/hでコーナーを直進しコンクリートウォールに激突して亡くなってしまった。

ヴィルヌーブというコーナー名は、イモラでF1初開催となった1980年の決勝でタイヤバーストからスピンしながらコンクリートウォールに激突クラッシュしたジル・ヴィルヌーブ(フェラーリ)に由来している。

コーナーの外側(左側)にはヴィルヌーブの追悼モニュメントが設置されている。

ターン7(トサ)

ターン7は左ヘアピンのトサ・コーナー。

トサを直進した先の観客席の脇にはラッツェンバーガーの追悼スペースがある。ヴィルヌーブ・コーナーで激突大破したラッツェンバーガーのマシンはこのトサまできてやっと止まった。

 

また、トサ・コーナーは語り継がれるチームメイト同士の「紳士協定」による確執を生んだコーナーでもあった。

1982年には首位走行のジル・ヴィルヌーブ(フェラーリ)を同僚のディディエ・ピローニが抜き去ってしまい紳士協定の裏切りだと大激怒。その次戦ベルギーGP(ゾルダー)でヴィルヌーヴの怒りに満ちた予選アタックでの事故死に繋がってしまったとされている。

 

1988年にはマクラーレン・ホンダのアイルトン・セナが同僚アラン・プロストと結んだ紳士協定を破りトサで抜き去ってしまった。激怒したプロストはレース後の記者会見をボイコットし、以降セナとプロスト、そして記者やファンまで巻き込みながら険悪な関係となってしまった。

世界中の話題となったセナ・プロスト対決だったが、プロストの引退レースとなった1993年オーストラリアGPでついに2人は握手を交わし表彰台で肩組んで和解。

シーズンオフでの数カ月間で二人は急激に親密な関係へと進んでゆき、1994年にはこのイモラでも二人は会っていて決勝スタート直前にも話をしていた。それが二人にとっての最後の時間となってしまった。

ターン9(ピラテッラ)

トサから坂を上っていった頂上付近にあるターン9。こうしてみるとF1中継で見ているよりも角度がなかなかあるきついコーナーに感じます。

ターン11・12(アクア・ミネラリ)

ピラテッラからやや下りながら右へ回り込むアクア・ミネラリ。

1994年まではこのコーナーの侵入手前にシケインも設置されていたが改修の際にシケインはなくなりシンプルになった。

ターン14・15(ヴァリアンテ・アルタ)

上り坂の頂上部分にある右・左のシケインのヴァリアンテ・アルタ。

2021年のQ1では角田選手がクラッシュしてしまい自信喪失、クラッシュしないための走りに意識が行ってしまいその結果として攻められず遅くなるという負のスパイラルに落ちてしまった。自信と速さを取り戻すためにシーズン終盤まで苦労が続いた。

ターン17(リヴァッツァ1)

下り坂でブレーキングをしながら左コーナーに侵入する1つ目のリヴァッツァ。

コース脇には住宅が立ち並んでいる。

1991年の雨天決勝のフォーメーションラップでは、雨嫌いのアラン・プロスト(フェラーリ)がスピンしてリヴァッツァイン側の芝まで滑り込みそのままストップしリタイアした。

ターン18(リヴァッツァ2)

2つ目のリヴァッツァ。このコーナーを抜けるとフルスロットルでフィニッシュラインへと向かっていく。

ターン19(最終コーナー)

現在はほぼストレートとなっているが、昔はこの少し先が最終コーナーになっていてヴァリアンテ・バッサというシケインがあった。

バリアンテ・バッサでは1994年の予選初日にルーベンス・バリチェロ(ジョーダン・ハート)が縁石に乗りマシンが飛んでしまい、タイヤバリアの高さを超える勢いでバリア上部とフェンスに激突したのち地面に叩きつけられる大事故に遭い負傷(鼻を骨折)した。

また、解説者としてサンマリノを訪れていたかつてのライバルのアラン・プロストに対してアイルトン・セナが無線から「親愛なる友アランへ。元気かい?アランがいなくて寂しいよ」とメッセージを伝えたのもこのバリアンテ・バッサだった。

フィニッシュ

ということで今回は1周4.909km、F1マシンで1周1分15秒のイモラ・サーキットを歩いてみました。

それではまたどこかのコースでお会いしましょう^^!

↓1980年イタリアGP(イモラ初開催年)予選・決勝結果↓

予選トップ6

PP ルネ・アルヌー ルノー
2位 ジャン・ピエール・ジャブイーユ ルノー
3位 カルロス・ロイテマン ウィリアムズ・フォード
4位 ブルーノ・ジャコメリ アルファロメオ
5位 ネルソン・ピケ ブラバム・フォード
6位 アラン・ジョーンズ ウィリアムズ・フォード

決勝トップ6  

1位 ネルソン・ピケ ブラバム・フォード
2位 アラン・ジョーンズ ウィリアムズ・フォード
3位 カルロス・ロイテマン ウィリアムズ・フォード
4位 エリオ・デ・アンジェリス ロータス・フォード
5位 ケケ・ロズベルグ フィッティパルディ・フォード
6位 ディディエ・ピローニ リジェ・フォード

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